はやっ。もう答えがきた。
noteが面白いなぁと感じるのは、書き始めにあった疑問が書いていくうちに整理され、書き終わるころにはスッキリしていること。
書いている時も一種の瞑想状態というか、自分ではないどこかにつながっているような感覚もあり、文字にしてみて「私こんなこと思ってたんや!」と自分で自分に氣づいていく楽しさがある。
これを「ジャーナリング」って言うのかなぁ?
昨夜も更新をすませ、パソコンを閉じた瞬間に答えがきた。
きのうの問いに対する答え。
家族に対する切ない感情のワケ。
元の依存状態に戻りたくないのになぜ感情だけは昔の自分のままなのだろう?という問い。
「月の蠍」という言葉が浮かびました。
ここで言う月とは占星術の月星座のことで、私の月星座は蠍。
<本題に入る前に少し補足を>
占星術には太陽星座と月星座というのがあり(他にも水星星座や木星星座と色々あります)、この2つが自分を構成する上で大きな要素となっています。
太陽星座は雑誌の占いページに出てる星座のことで、「自分がどうありたいか。今世でどんな生き方をしたいか」といった世間に対する顔であるのに対し、月星座が示すのは心。私はそれをインナーチャイルドという捉え方をしていて、月は「わがままで甘ったれで理屈が通らない素の自分。人に見せることのない本音の自分」を表しています。
ここの記事に記したようにエゴの自分がいるのも月。
太陽星座と月星座が同じ方もいますが違う方の方が多く、違う方々の多くが太陽と月といった相反するものが自分の中に共存していることで戸惑いや苦しみが生まれる、といったパターンが結構あります。
本題に戻ります。
私の月は蠍。
蠍座は相手を自分の中に取り込み一体化することで愛を感じる星座。
蠍の愛は一途で、一度相手を想ったらわき目もふらずとことん愛し抜く性質があります。
それが私の本質なのです。
その蠍が反応しているのだと思いました。
家族をまるっと自分の中に取り込んで一体化していた私の心はまだ昔のあり方を望んでいるのかもしれません。
一方で、太陽星座は水瓶座の私。
水瓶座の人たちは冥王星という大きな力を持つ星が240年ぶりに水瓶座に入ったことで今後20年という長い年月をかけて自分のあり方を根底から変えさせられる流れに入っていきます。
これまで作った自分を破壊し再構築する「破壊と再生」が起こっていく。
私自身その始まりは思いっきり感じていて、とっかかりが家族との断絶でした。
ホントに私たちは星の通りに動かされてる。
「家族から自立した私でありたい」という願いのもと変容が進む太陽/水瓶座の私も私であれば、「大切な人たちと一体化していたい」と望む月/蠍座の私も私なのです。
これが先に述べた太陽と月の葛藤に苦しむというやつです。
この対極っぷり。
そりゃしんどいわ笑。
自分のホロスコープを見るたびに「なんでこんなめんどくさいの選んだかなー私」と思うのだけど、魂がそれをやりたいというのだからあきらめるしかない。
心を無理やり変えることはできないので、月の私に寄り添っていく。
夢で感じる切なさも、何か物足りなさを感じる現実もただそのまま受け入れていく。
それが一番自然で自分にやさしいあり方なんだろうなぁと感じています。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。