親への罪悪感が捨てられないワケ①
きのうの記事を読んでくれた友人から
「言ってることは分かるけど罪悪感が捨てれない…」というコメントをもらったので今日はそのことについて書いてみようと思います。
きのうの記事⇩
親への罪悪感が捨てられない理由はいくつかありますが、第一に自分が「捨てたくない」と心の底で思っているからです。
「捨てたい」と思っているのに、ホントは「捨てたくない」。
うそーん、ホンマに捨てたいと思ってるもん!
という声が聞こえてきそうですが(私がそうでした)
本当の自分は「罪悪感を持っておきたい」のです。
なぜか?
罪を感じる優しい氣持ちを持っている自分でいたいから。
つまり「いい子」でいたいのです。
親の言うことに背く「親不孝な自分」「冷たい自分」「ヒドイ自分」「残酷な自分」を認めたくないのです。
これは冷静にみれば親不孝でも何でもないのですが、親の価値観の中で生きていると「親の言うこと=正義」になっているのでここから出ようとすると抵抗が生まれます。
じゃあどうすればいいか?
いい子をやめる。
私は、親の希望に添えるやさしい奴じゃない。
私は、自分のことだけしか考えないわがままな奴だ。
私は、育ててもらった親に恩返しできないヒドイ奴だ。
それを認めてしまうのです。
自分のズルくて、汚くて、イヤだと思ってる部分を受け入れる。
私はここが中々できなくてめっちゃ苦しみました。
私は清廉潔白な純粋な人でいたかった。
だから自分のドス黒い部分なんてとんでもなく受け入れられなかった。
とは言え自分の中の真実は変わらない。
どれだけ「いい子」でいたくても、私の本音は親のことより自分の方が大事。
親が私が側にいることを望んでいると知っていても、それは私にとって苦しみしか生まないので、その希望に沿うことはできないのです。
長い葛藤の末、ほとほと疲れ果てようやく私は私をあきらめました。
自分のことしか考えないズルい自分でいい。
私が私に正直であることを一番大事にしよう。
私の幸せを第一に考えよう。
そう思えるようになりました。
そう思えるようになってようやく自分が親の価値観の中で生きてきたということがハッキリわかったのです。
相手が誰であろうと、自分のことを一番に考えるのは至極当然のことです。
でも私たちは「人のことを第一に考えましょう」という刷り込みの中育ってきているので、自分を一番にすることが「悪」のように思ってしまいます。
その相手が親であればなおさらのこと。
それは幻想です。
自己犠牲の上に真の幸せはありません。
親への罪悪感という重い足かせをはずしたとき、ようやく人は自分の世界で生きられるようになるのです。
個人個人がもっと軽やかに自分の人生を楽しめるといいのになぁ。
次回は罪悪感と愛について。
罪悪感を手放すと愛がなくなる氣がしていた経験を書きますね。