自分の中の叡智に氣づく。
先日友人と食事をしているときに霊能力がないのにあると偽って人を騙すような行為でお金を稼いでる人の話を聞きました。
そんな人は狐がついているらしく顔つきや匂いも獣のような感じがするんだとか。
その一方で彼女は本物の霊能力者の知り合いもいて、そういう方は表舞台には出ずひっそりと自分のお役目を果たすお仕事をされている、ということを教えてくれました。
その両者の話がとても興味深く、彼女と過ごした大半の時間を「霊能力のある人」「ない人」の話で盛り上がりました。
で、次の日。
思ったのです。
彼女と過ごした4~5時間、あれだけの時間を使って神さまは私に何を見せたかったんだろうって。
以前も友人数人と食事をした時に同じようなことを思い、こんな氣づきがありました。
神さまは私に何を教えてくれようとしているんだろう?
この視点はいつもあるわけでなく、ふとしたときにやってきます。
そういうときはホントに神さまが「ここにはこんなヒントがかくれてるよ」と教えてくれてるんだと思い、考察することにしています。
でもね、今回はすぐにはわからなかったんです。
最初は「ウソをついちゃいかん」とか「神さまを使って人を騙すとえらい目にあうよ」という警告か?と思ったのですが、ピンとこず。
そこから数日経って、きのういつもお世話になっているセラピストさんのところでアロマワークに参加したときのこと。
午前中にワークをして、お昼ご飯をごちそうになった後、まったりお茶をしているときになにげなくその話をすると
「自分の内側に叡智はあるってことに氣づきなさいよ、ってことじゃないですか?」と教えてもらったのです。
「自分の中に叡智がある」
これは何度もセラピストさんから言われていた言葉でした。
でもこれまでの私は「そうは言ってもようわからん…」といつもスル―してました。なので今回もそれを聞いたときに何かを感じることもなく。
が、ひと晩ねて今朝。
目覚めたときに「自分の中に叡智がある」というあの言葉が妙にしっくりくる感じがして。
それは「私の中の叡智に氣づいた!」というのではなく、それがちゃんと自分の中にあることに氣づき始めてる自分がいることに氣づいたのです。
まわりくどくてごめんなさい。
言ってること分かりますか?
なんでもっとストレートに「私の中に全部あった!」と思えないのか?と自分でも思うのですが笑。
簡単にわかっちゃったら面白くないやーん。
紆余曲折してわかってこそ感動があるやーん。
などという「難しいこと、苦労することに価値がある」という私の古い思考パターンがそうさせているのか?
もしくは、自分を完全に信じたくないのか?
「私の中に叡智があった」と氣づいてしまうと自分が完全性を身に着けた何者かになってしまうような氣がしてこの先の人生楽しめないと思ってるのか?
などなど、色んな考えが浮かんでいます。
まぁ理由はいずれにせよ。
今の私は、私の中に全部あることを氣づき始めていて、それを認め受け入れようとしている。
「そんな場所に立ってるよ」という神さまからのメッセージなのかなぁと感じました。
友人との楽しいひと時にインスピレーションをもらい、セラピストさんのサロンでの時間を経て氣づかせてもらった今回の出来事。
目の前のすべての流れの中にヒントはあって、周りにいる人たちはいつも何かを教えてくれてるんやなぁ、とありがたくなりました。
今日から「自分の中の叡智」を意識して過ごしたいと思っています。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
また書きます。