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すべてのものから“ゆるされている”という感覚。

昨年夏、シータヒーリングの講座で15日間かけて自分と深く向き合う講座を受講しました。

そのときに先生に問われた言葉で今でも胸に残っているのが

「すべてのものから “ゆるされている“ という感覚、分かりますか?」というものでした。

そんなこと考えたこともなかったのですごく衝撃的で。
と同時に「あ、私それ知らん…」と。

もしかしたらあまりに自分の中にない感覚だったことにショックを受けたのかもしれません。

あれから一年経ち、未だにその感覚は分からないけれど、先生の言う「ゆるされている」というのは、「愛されている」という感じと近いのでは?と思い始めています。

ここで言う愛されてる対象は、家族や友人などといった目に見える存在ではなく、大いなるなにか。

それを人は、サムシンググレート、源、宇宙など色々な表現をするけれど、私は親しみを込めて「神さま」と呼んでいます。

魂の存在である私たちの生みの親。

そんな大きくてあたたかな「神さま」に私たちはいつも見守られている。

その「見守られている」という感覚が「愛されている」であり、「ゆるされている」に近いんじゃないかと思ったんです。

ただこの「愛されている」という感じも、正直、今の私にはハッキリつかめていません。

でもなんとなく思うのは、「神さまから愛されている」というと何かすごく高尚なことのように捉えていたけれど、実はそうではなくほんの些細なことなのではないかと。

たとえば、めちゃくちゃ暑い日に冷えたスイカをひと口食べたときの「あぁ美味しい!」と感じる瞬間や、夕日や雲の美しさに心を奪われ「はぁ~なんてキレイなんやろう」というあの感じとか。

そんな日々の中にある小さな喜びや感動が、もしかしたら神さまからの「愛」なのかもしれない。

目に見えない存在や世界は、見えないので捉えどころがありません。
けれども「感じる」ことはできる。

心で感じる様々なことを通じて神さまは私たちに「愛」を送ってくれてるのかもしれない。それが「愛されている」ということであり「ゆるされている」ということなのかも。

今はまだ頭での理解で体感としてはつかめていませんが。

ただこの先、心に湧くどんなことも否定せず、すべて受容していったときわかるんだろうなぁと感じています。

今朝この曲がラジオから流れてきて「あ、これ神さまからのメッセージや」と思ったら心があたたかくなり、これを書く流れにつながりました。


あなたはひとりじゃない。

今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。



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