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なつかしくて切ない母への思い。

7月21日 20:38 山羊座で満月を迎えます。

私は年に数回、満月のタイミングで心を揺さぶられる夢をみます。
普段は忘れてしまうようなおぼろげな夢も、このときはずっと後になっても覚えているほど内容が濃ゆい。

占星術で月は感情を示しているので、そんな夢をみる度に「星が私たちに与える影響はやっぱりすごいなぁ」といつも感心してしまいます。

おとといみた夢はこうでした。

母が出てきました。

現実世界の母は認知症が進み、言葉がうまく出てきません。
歩くのも手を引いてもらわないとままならない状態です。

夢の中の母はずいぶん若く一人で立っていました。

母は私に対して横を向いており、母に近づいていくと眉をひそめて静かに涙を流していました。

その様は何かショックな出来事が起こって「悲しんでいる」というより、慈悲の心からくる「哀しさ」がそこにあるという感じ。

私は「なんで泣いているんやろう?」と思い母の頬に触れます。するとそこから「哀しさ」が私の中に入ってきて、心が大きく動いて涙がぶわーっと溢れてきました。

みぞおちの奥のあたりから何かが湧き出てくる感覚。
それが胸のあたりまでのぼってきて苦しくて哀しくて。

その瞬間ハッと目が覚めました。

現実世界の私はべそをかいていて、まるで小さい子供が大泣きする前ように「さぁこれから感情を爆発させますよ」といった前段階のような感じ。

「ああ夢やったんか」という思いと同時に胸がきゅっと切なさで一杯になりそこからダムが決壊したように泣きました。

声を上げて。
「お母さん…お母さん…」と言いながら。

心の深いところから湧いてくる昔なつかしい感じ。
郷愁にも似たさみしいようなあたたかい感じ。
その思いは押し寄せては引いてを繰り返し、しばらくの間続きました。

その情動と同期するかのように私も泣いてはおさまり、また泣いて…を数回
繰り返した後、ようやく落ち着きを取り戻し再び眠っていました。

こういう夢をみるときはいつも根底に同じ思いがあります。

「父や母を愛していた。愛は確かにそこにあった」

それを魂が私に思い出させたくて夢をみさせている氣がします。

深いところで知っているけれど見ないようにしていること。
感じないようにしていること。
もしかしたら忘れているだけかもしれないこと。


幼いころ私たちは何の疑いもなく全身全霊で父や母を愛しています。
「愛している」という自覚すら持たずに。

でも大人になる過程で両親から受けた言葉や態度に傷つき、後にそれが生きづらさの原因だと知らされ、途端に親を憎み始める。

そこにあった愛を忘れて。


今月に入ってここ数年向き合ってきた家族への思いが新たな局面を迎える出来事がありました。

その向き合いの期間も同じような夢をみていました。

それはいつも両親への愛を感じさせるような内容で。

渦中にいるときはそれを認められず
「お父さんやお母さんのことそんなふうに思ってた時期もあったな。でもそれは愛と依存を勘違いしてただけやったんやな。なんか滑稽やな私…」
そんな風に思っていました。

でも今になって思うのは、たとえそこに「依存関係」があったとしても、「愛」はちゃんとあったということ。

そこを忘れちゃいかんよ、と言われているように感じます。

夏休み、プールから帰ってきたら母が冷たいスイカを用意してくれていて「美味しー」と言いながら食べたこと。

父が子供たちに内緒で柴犬を連れて帰って来てくれて妹とともに大喜びしたあの日のこと。

毎年お正月家族旅行で様々な場所を訪れたこと。

そんな他愛のない日々こそ愛だった。

夢で感じる切なさはそんな日々を懐かしむのとよく似ています。


私たちはこの世に愛(I)として誕生し、愛を忘れて、また愛に還ってくる。

私のこの数年のスピリチュアル・ジャーニーはそんなことをしていたのではないかと感じています。

そこに愛はあった。
そんなことを深く感じた夢でした。

今日も読みに来てくださりありがとうございます。
また書きます。

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