親の価値観から抜け出す
生きづらさを感じる根本原因は、大人になっても「親の価値観の中で生きているから」というのが大きいんじゃないかなぁ、と感じています。
今、私がそこから抜けたからこそ強く思うこと。
私たちは幼稚園や小学校で初めて他者と触れ合うことで、それまで親から教えられてきた考えとは違うものがあることを知ります。
その時に「な~んや、こんな考え方もあるんや。こっちを選んでもええんや」と素直に思えた人はそれを行動に移します。
この時、親が子供を1人の独立した人間として見られる人であれば、自分の教えとは違う行動をする子供を尊重し、やさしく見守ることができます。
親から見てたとえそれが失敗するだろうな、とわかっていてもその経験こそが子供の人生にとって尊いものだと知っているのでほっておける。
そこには「信頼」という名の「愛」があります。
けれど世の多くの親はそれができない。
私の両親もそうでした。
失敗しないように、失敗しないようにと転ばぬ先の杖を用意し、守ってやることが「愛」だと勘違いしています。
それは愛ではなく、「不安」からくる「コントロール」です。
子供のことを心配している、というのは、子供のことを信頼していない、ということ。
「私がなんとかしてやらないと」という親の思いは、「私の支えがないとこの子は生きていけない」という子供の生きる力を信じていない=奪う行為だと私は思うのです。
それは結局、親自身が自分のことを信頼できていないから。
「私の子だから何があっても大丈夫」という自己信頼の欠如によるものです。
その要因は、親自身もそのように育てられたから。
祖父母と母の関係を見ていてそう思いました。
これは自分の代だけで起こっているのではなく、親の親、そのまた親と長く受け継がれてきているものなんだろうなぁ、と。
私はそれを私の代でストップするための役割を担っているんだろうなぁとも感じています。
話を元に戻します。
社会に出て「な~んやこんな考え方もあるんや」を知り行動に移した時、受け入れてくれる親だった場合は、そこからどんどん親の価値観から抜け本来の自分へ還る道を辿っていきます。
「自分の人生は自分で創っていくもの」という自信と主体性のもとパワフルに自分の道を歩いていくでしょう。
そうでない親の場合。
子供が自分の世界観から抜けようとする時、親は「反抗期」というレッテルを子供に貼り、抑えつけようとしてきます。
その挑戦で期待通りの結果が得られなかったなら「それみたことか」と言い、「やっぱりこっちにしておきなさい」と、自分の世界へ引き戻そうとするのです。
ここで子供に湧いてくる感情が「罪悪感」です。
「親の期待通りにできない自分はダメだ」
「いい子でいない自分は親に苦労をかけている」
そんな思いが胸を圧迫し苦しくなる。
だから自分の思いを通すのをやめ、親が望むいい子でいようとする。
親の言うことを聞かないと愛してもらえなくなるんじゃないか、という「怖れ」を抱く子も多いでしょう。
それほど親は子供にとっては絶対的存在なのです。
だからずっと心では「こうしたい」「ああしたい」という思いがありながらも親の価値観の中で生き続けてしまう。
そしてこの時感じた「罪悪感」や「怖れ」は深く心に根付いてしまい、それが生きづらさの原因となるのです。
では、それを解消するにはどうすればいいか?
自分が親に感じている「罪悪感」を手放すのです。
私が私を生きることで「罪」を感じる必要なんてどこにもない。
というか「罪」ですらない。
それは単なる自分の思い込みだと氣づくことです。
長年どっぷり親の価値観に浸かった世界で生きてきた人は
「頭で理解できても心がついていかない」
と最初は思うでしょう。
私もそうだったのでよくわかります。
最初はできなくて当然です。
まずは「そうなんだ」と知ること。
そして自分が今見ている世界ではなく、もっと広くて自由な世界で自分は生きていける。
自分にはその資格があるし、これからはそうすると決める。
これが最初のステップだと思います。
決めると進む。
大丈夫。
怖いことは何も起こりません。
大丈夫です。