父への「おめでとう」で氣づいた心の成長。
「誕生日おめでとう。寒くなってきたから身体に氣をつけて」
父への声が自分でも驚くほどやさしかったことに電話を切ってから氣がついた。
今日は父の誕生日だった。
そして父へメッセージを伝えたのは3年ぶりだった。
こんな穏やかな氣持ちで父と話せる日が来るなんて。
私の心は成長したんだな、と少し感慨深かった。
父は私にとってホントの自分に還るきっかけをくれた人だ。
今でこそ父への愛はあるけれど、そうなるまで私はずっと父のことが大嫌いだった。
わがままで神経質。
ガミガミと母に怒鳴り散らす威圧的な態度を嫌悪していた。
HSP氣質の私は、父のピリピリした神経を無自覚のうちにキャッチしてしまうので父が家にいると落ちつくことができなかった。
家族の恒例行事であった年に一度の旅行では、腰が悪いからと重い荷物を母や私たち子供に持たせ、自分は手ぶら。
旅先のレストランでは、店員さんの態度が悪いとキレ、大声で文句を言ったり、夕食後は家族を宿に残し一人で繁華街に飲みに出かけて行ってしまうような人だった。
今ならそれも「自由でファンキー」と笑えるけれど、そう言えるようになるまでは時間がかかった。
なぜそんな父のことをゆるせるようになったのか?
それは父は私そのものだったことに氣がついたからだ。
長年忌み嫌ってきた父の「わがままさ」「自由きままさ」は、実は私が一番望んでやまなかった生き方だった。
ありのままの自分を抑え込んで「自分より人を優先させることが愛」という自己犠牲ベースの生き方こそが正しいものだと思い込んでいた私にとってその真逆をいく父は天敵でしかなかった。
どこにいても誰といても自分が一番大事。
この人は周りの人のことを思いやる氣持ちがあるのだろうか?
なんて身勝手な!
なんてわがままな!
父への憎しみは、私がやりたくてもできないことをやっている人への恨みであり、ホントの自分を封じ込めてる自分への怒りだったのだ。
私も自分の思うまま生きたい。
私も誰よりも自分を大切にしたい。
私の魂はいつもそう叫んでいた。
その声が聞こえなくなっていたのは、自分を犠牲にしていつも家族に尽くす母を見て育ったからだった。
母のせいにしているのではない。
母の生き方をひな形にして育ち母を正義と捉え、長年父を悪にして生きてきた。けれど人生の後半で敵だった父が実はホント自分に氣づかせてくれる「先生」だったことを知り、父への見方が変わり、初めて父を愛することができた。
そしていつも父から怒鳴られ可哀そうに見えていた母が、あえて父にそう仕向けていたこと、そうすることで自分が立ち回りやすい状況を作っていたことを知り、母への哀れみや依存が解消された。
これらすべての経験をしたくて私の魂はこの両親を選んだのだと今ようやく思えるようになった。
本当にようやく。
今私は私の心地よい距離感を保ちながら家族とつきあうことができている。
それは世間一般からすると冷たいと思われるつき合い方かもしれないけれど世間なんて関係ない。
私が心穏やかでいられればそれでいいのだ。
しばらく家族に会っていない。
冬が来る前に両親の顔を見に帰ろうかと考えている。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。
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