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ホントはどんなことも簡単で。

何かに迷っているとき、考えれば考えるほど答えが出ないってことないですか?

あぁ、どっちにしたらええんやろ?
私はどっちがやりたいんやろ?
自分の氣持ちがよくわからない。

そうやって思考がぐるぐるし、わからない沼にハマっていく。

なぜそうなってしまうのか?

考えるからです。

考える前に戻ってみて。
答えはとっくに出てる。


迷ってる案件と最初に出会ったとき瞬時に心に湧いた感情。
それが答え。

「すき!」or「きらい!」。

そのどちらか。

なのになぜ私たちはそれを自分の答えとして素直に採用できないのか?

それは小さいころに「好き嫌いを言ってはいけない」と言われ、どんなことも「好き嫌いで選んではいけない」と言われて育ったからです。

たとえば小学校で。
給食で食べ物の好き嫌いを許されず(嫌いなものを食べるまで机から離れてはいけないという規則があったり)、
授業で嫌いな科目を頑張って勉強するように教えられ、
嫌いな友達とも仲良くするよう強要される。

これらの「嫌ってはいけない」「嫌うことは悪」という徹底した教えがありのままの氣持ちを表現できなくさせている。

何かに対して「嫌い」と思った瞬間、「あ、それダメ。思っちゃいけないこと」と感情にフタをするクセがついてしまったんです。

でもね。
おかしいですよね。
どんなことにも表があれば裏があるように「好き」があるから「嫌い」がある。

「好き」がよくて「嫌い」がダメではない。

どちらもあってしかるべき。
だけど「好き」はいいけど、「嫌い」は認められない。

そんな固定概念がしっかり刻まれてしまったゆえに「嫌い」をストレートに表現できなくなってしまった。

そればかりか「嫌い」と思った自分に罪悪感を抱えてしまう。

なんてナンセンス!!!!!

素直な感情にこそホントの自分が宿るのに、そこを閉じてしまったら個性が死んでしまいます。

嫌いは悪じゃない。

そして好きが善でもない。

この偏りがなくなると、自分の氣持ちを表現することに躊躇がなくなります。

そして嫌いと感じる自分を責めなくなる。

嫌いを悪者にするのをやめましょう。

何かをチョイスするときの基準は「すき」「きらい」でOK。
考える前に感じたこと。
そこにホントの答えがあります。

今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。











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