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是枝裕和監督の『幻の光』を観てきました。

こちらは1995年公開の作品で、輪島市が舞台になっていることから「能登半島地震 輪島支援 特別上映」として期間限定で上映されているもの。

是枝監督の作品は、どの映画も人間の哀しさと優しさが根底に流れていて、共感性の高い私は主人公の氣持ちにすぐ傾倒してしまう故しんどくなるので苦手だったのだけれど(でも観てしまう)、今回は主役の感情に飲み込まれず鑑賞後もケロっとしていたので自分でも少し驚きました。

なんでかなぁ?と考えてみたところ思い当たったのは目の前に現れる現実に重い周波数をのっけて重く受けとめるのをやめたからかな、と。


家族やパートナーに対してやっていたそれをやめたくて始めたことだったけど、結果すべてのことに適用されていてその効果が出てきたのかも。

重い周波数を軽くし、深刻さを手放したらそこには「そういうこともあるかもね」という曖昧さがあることに氣づきました。

人の感情って白黒つけられないことが多いですよね。

白と黒の間、グレーのグラデーションの微妙なところに点在していることもある。

それを無理やり白にしようとしたり、黒へ持って行こうとしてもムダというか意味がないというか。

以前はこれを↑やってました。

本心に抗ってた。

でもやめたら「そういうこともあるかもね」と思えるようになった。

人の氣持ちって何が正解とかなくて、そのときの状態がそのときの正解。

だから白でも黒でもグレーでもいい。

そう思えるようになったんだと思います。

映画のラスト、前夫を亡くし哀しみを抱える主人公が今の旦那さんに「なんであの人は死んだんやろ」とたずねるシーンがあります。

そこで彼が言ったのは「そういうこともあるんちゃうか」という答え(このセリフの前には「そういうこと」についての説明があります)。

この答えは一見、冷たいというか主人公の氣持ちに寄り添ってない感じを受けるのだけど、そうではなく「人ってそういうもの。理屈では説明できないグレーな部分を含んでいるのが人ってもんじゃないかな」と言っているように聞こえました。


これを書いていて氣づいたのですが。
なんか今の自分の状態を答え合わせに行ったような映画鑑賞。

今のタイミングで観るべくして観たんでしょうね。
天の采配?
観に行ってよかったです。

今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。









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