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手放すことの本当の意味

最近になって「手放す」ってホントはこういうことなんじゃないかな、という氣づきがあったので今日はシェアしたいと思います。

これまでの私は手放すとは

・ギュッと握りしめていたものを手から放す
・執着をはずす
・氣にしない、忘れる

など川にモノを放流するイメージでした。

これも間違いじゃないと思うのですが、もっと深いところにある手放しの意味とは

受容する
そのまんまを受け入れる

ということなんじゃないかと氣づいたのです。

言葉の意味的に見ると真逆のイメージなので勘違いしてました。

たとえば瞑想をしているとき。

思考が浮かんできて邪魔をします。

そんなとき雑念に「そのままいていいよ」と言って受け入れる。

たとえばキライな人に苦しめられるとき。

キライだから自分の心の中から消し去りたいんだけど、簡単にはいかない。

だったら「そこにいていいよ」と言って受け入れる。

ここで言う「受け入れる」とは、それを「見る」とか「考える」ではなく、一旦招き入れ、置いておくということ。

自然の流れのままにしておくということです。

どちらの場合も「排除しよう」と思えば思うほど、心はとらわれより苦しくなります。

これはイコール手放すことに執着している、ということ。

氣づきました?
これなんかおかしなことになってますよね。

でね、思ったんです。

手放すことだけに限らず、どんなことも今のあるがままの状態に抵抗するから苦しくなるんだってこと。

それはつまり、ありのままの自分を否定しているのと同じ意味なのです。

どんなモノ、コト、人もすべては必要だからそこにある。

それは自分に何かを教えてくれるためだったり、氣づかせてくれるために存在している。

だとするならば否定や排除といった概念は消え、すべてのものはそのまんまでOK。
ただ存在しているだけで肯定されている。

そんなふうになると思うのです。

これは自分という存在そのものを表していて、私たちもただいるだけでいい。

無条件でそこにいるだけでOKということ。

結局は自分の外側にあるものすべては自分であり、私たちはそれらを通してホントの自分を知っていく。

だから何も否定することなく、あるがままを受け入れる。

それが手放しの本当の意味だと氣づきました。

手放す=受け入れる

だったなんて!

言葉というのは便利なようでいてときに誤解を生みます。

言葉の意味にとらわれるのではなく、自らの体験を通して大切なものをつかんでいけたらなぁと思っています。

今日も読んでくれてありがとうございました。

また書きます。

スタンドエフエムでもお話しました。
よければ聞いてください♪



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