見出し画像

最近、日常生活で「面白がる」ということを取り入れてます。


どんな状況においても「どうやったら面白くなるか?」を基準に選択すると発想が軽やかになります。

物事の捉え方に深刻さがなくなるので、これまで問題視していたことが問題でなくなり、解決しようとしなくなるので氣持ちがラクになります。

きのう書いた記事の中にあったように、最近私は見たくない自分を見つけてしまいました。


ドロドロした汚い自分。

これまでならそんな自分を受け入れようとマジメに受容について取り組んでいましたが、それでは今の自分の殻を破れない感じがずっとしていたんです。

「ホントの自分」に着実に近づいているけれど、果たしてこのやり方の延長線上に望む自分はいるのか?と問われたらちょっと違う氣がしていて。

そんなとき「面白がる」が功を奏しました。
そんな自分を面白がってみたのです。

見たくない自分をジトッと重い周波数で捉えるのではなく、高らかに笑ってしまうのです。


「うわぁ~。イヤな自分見つけてもうた~。なにそれ~笑笑笑」と。

すると笑われた(見たくない)自分もそれにつられて笑いがおこり、和やかなムードで本来の自分に吸収(統合)される。

なんか軽くていいなぁと感じました。
そういうのが理想だったよなぁとも。

私にはメンターが3人います。
みなとても自分に寛容で笑いが絶えない人たちです。

彼女たち自身、自分のダークな部分を見つけたときも「はっはっは」と笑ってしまえる人たちで、私はそんなあり方にとても憧れています。

私がまだまだ自己嫌悪の塊だったころ、あるセッションで自分の恥部とも言える悩みをメンターのひとりに打ちあけたとき、彼女はそれを軽く笑い飛ばしたんですね。

それがすごい衝撃で。

そこに「笑われた」とか「バカにされた」という思いはまったくなく
「あぁこれって笑ってもええ話やったんや。そんなに深刻になることじゃなかったんや」と肩の力がスーッと抜けたのを今でもよく覚えています。

そのときに言われたのが「笑いは祓いなんですよ」という言葉。
笑うことは浄化になり、やがて昇華する。


あのころはそう言われてもどんより重い思いをたくさん抱えていたので自分を笑い飛ばすなんてできなかったけど、最近になってようやくその真意が理解できるようになりました。

自分を笑えるようになるなんて、私ありたい自分に近づいてる!
これからも私は私を笑ってやる。

自分を笑いとばせるようになるほどに、自分への寛容度は増していくんだろうなぁと感じています。

今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。



いいなと思ったら応援しよう!