認めてほしいという思い。
自分を大きく見せようとするクセ。
それがあることは知っていました。
自分との向き合いを始め、それまで知らなかった(というか隠してきた)自分が様々な場面で露呈するようになり、自分を実在以上の何者かに見せようとしてしまう自分を自覚しました。
うわぁ~イヤだ…。
そんな自分を嫌悪して自己否定を強化していった時期もありましたが、あるとき氣がついたんです。
私が私を認められていないから他者に認めてもらおうとするんや。
ちゃんと自分を認めよう。
ここに氣づいてからこのクセはだいぶなくなったのですが、この間久しぶりにある現場で私の承認欲求が発揮されました。
そのときはすぐ氣がつきました。
あっ、またやってる。
で、家に帰ってから何がまだ私の中に残っているのだろう?と探ってみると根本原因が分かったのです。
私が「私を見て! 私ってこんなにすごいのよ!」という態度をとってしまう場面は、条件がいつも同じであることに氣がついたのです。
・知り合いなどが大勢集まる場所であること。
・認めて欲しい相手はいつも男性であること。
・その男性は私にとって興味深い人であったり、尊敬していたりと何かしら好意を寄せている相手であること。
これが出てきたときにすぐにピンときました。
私のそのクセは、父親に対する「認めてほしい」という思いでした。
父は人とのコミュニケーションが苦手な人で。
やさしく穏やかに話すことができず、自分の思いをいつも怒りで表現する人でした。
なので私自身、幼い頃から父の存在は恐怖でしかなく、父がそこにいるだけでいつもビクビクしていました。
褒めてもらったこともなく、ましてや「認めてもらった」なんて記憶もありません。
そんな父のことを長年嫌ってきてたけれど、ここ数年自分の感情を癒す中でその思いもフラットになっていました。
だからこそ「嫌い」の反対側にある「好き」が現れてきて、そんな思いを自分でも認識できるようになり、それにより
父にちゃんと見て欲しかった。認めてほしかった。
という思いが表面化してきたのだと思います。
これまでの私は、「嫌いの向こう側に好きがある」と言われても
大嫌いな父のことを好きだなんて1ミリも思えなくて、それどころかそんな説明は反吐が出るほど氣分が悪かった。
でも今ならそれが理解できるし、だからこその今のタイミングで氣づけたんだろうなと。
日々過ごしていると自分がどれだけホントの自分に近づいていってるのか分からないけれど、こういうことがあると
あーちゃんと進んでる。
大丈夫。
と思えてうれしくなる。
そんな最近の氣づきでした。
今日も読みに来てくれてありがとうございます。
また書きます。