闇にいた本音の自分に会ってきた。
本音の自分に会ってきました。
少し前の記事で11月20日までの期間は「自分の闇を見るとき」と書きましたが、私の思う「闇」とは「本音の自分がいるところ」。
心の奥底にいる自分があぶり出されるときが今だと感じています。
ホントの自分で生きたいという魂の願いが発露するとき。
そんなときは得てして「見たくない自分」「情けない自分」を見ることになり、だからこそ「どうしたいの?」「どうなりたいの?」がわかる。
私もつい先日そんな体験をしたところです。
少し前、プロのカメラマンに写真撮影をしてもらいました。
初めての体験を楽しむつもりだったのが全然で。
それどころかどんよりと重い氣持ちになりました。
でも何で?
何でこんなに氣分が落ち込むんやろう?
すぐにはその理由が分からなかったのですが、少し経ったところで見えてきたのが、
上手くできない自分を卑下していたことにホントの自分が苛立っていたからだと氣づきました。
カメラマンに撮影してもらうのは初めてで、どう動いてよいのか分からずあたふたしていると彼が動きの見本を見せてくれました。
が、なにせ初めてのこと。
言われた通りにやるのですが全然できずにいると追い打ちをかけるように彼から指示が色々飛んできて(そのときの様子は↑の記事に)。
それが余計に私を緊張させ、動きはさらにぎこちなさを増してゆき。
他の撮影者はプロのモデルさんたちでそれぞれが優雅な動きで早々に撮影を済ませ、全員がカメラ前でギクシャク動く私を見ています。
そんな私の動きを「まるでロボットのようだ」とか「指先がL字になってておかしい」というカメラマンの言葉にみなが笑い、
私はそれを「無様な私をみんなが笑ってる」「辱めを受けてる」と感じたのです。そんな自分が惨めで情けなく、とても小さな存在に感じられました。
その時は自分が自分をそんなふうに思っている自覚がなく、ただ鬱々としていたのですが、時間が経ち分かったのが、自分を卑小な存在にしているのは他でもない自分で、鬱々とした感情はそんな自分をホントの私が怒っている、というシグナルだったということでした。
と同時に思い出したのが、これまでの人生でも同じような場面が沢山あったなぁと。学生時代から社会人生活において、人と比べてできない自分を見つける度に私は私をずっと「ダメだ、ダメだ」と否定してきた色んなシーンが出てきました。
それを見ているとき、みぞおちの奥が焼かれるような感覚があり「あぁこんなにも私は私のことを否定してきたんやなぁ」と苦しくなり自分に「今までごめんな」と謝りました。
これが私の闇。
闇には本音がいます。
じゃあ私はこれからどんな自分として生きていきたいか?
それを問うたときホントの私は「もっと堂々と生きたい。自分に尊厳を持って生きていきたい」と思ったのです。
これが私の本音。
そう言えば私が自分と向き合うと決めたとき一番最初にセラピストさんに言われた言葉が「自尊心を大切にしましょう」でした。
自分に尊厳を与えられるのは自分だけ。
誰といようが、どんな場面であろうが自分を一番大事にする(これずっと前に誓ったはずなんやけど、、、もっともっと必要やねんなぁ)。
そうしていった結果が「尊厳を持って生きていく」につながるんだろうなぁと。
私は私を大切にする!
改めて自分に約束した今回の出来事でした。
闇には本音が隠れてます。
よぉく目をこらせば見えてきます。
ホントの自分に会いに行ってみてください。
今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。