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「#わたしのおすすめ本10選」、このハッシュタグ、ムズくね? その三。

「その三」となるわけだが、どうしても一作に絞れない。
 この作者が書いた作品のすべてがおすすめだから。

 その愛すべき作品たちがこれである。
 
 ニコルソン・ベイカーの著書すべて。

・「中二階」
 ある男がエスカレーターで一つ上の階に行くだけ。
 単なる20秒間だけのお話。
・「もしもし」
 男女がテレフォンセックスしているだけ。
 単なる2時間だけのお話。
・「室温」
 お父さんが子供を寝かしつけるだけ。
 単なる20分間だけのお話。
・「フェルマータ」
 時間を止めることができる変態のことだけ。
 単なるソフト・オン・デマンドのAV作品みたいなお話。
・「ノリーの終わらない物語」
 小学生が毎日、学校に通うだけ。
 単なる子供の日常のお話。
・A box of matches(一箱のマッチ)
 朝起きて、マッチで暖炉に火を灯して会社に行くだけ。
 単なる大人の日常のお話。
(日本語にはまだ翻訳されていない)

 僕は「ニコルソン・ベイカー」という作家が大好きである。
 けれども、この作家の魅力を他の誰かに伝えることができた試しは一度もない。
「読めば分かる!」と僕は誰も彼もに力説してきたのだけれど、そもそも誰も読もうとはしてくれない。
 それはもう仕方がない。僕はとっくに諦めている。
 彼の作品に「ストーリー」はない。どこにもない。
 それぞれのタイトルに添えて解説を書いてみたものの、上のようになってしまったことからも、それは分かって貰えると思う。
「彼の小説の何が面白いのか?」
 エスカレーターに乗っているたった20秒の間に、人はどれくらいたくさんのことを考えている? 例えば。
 それをすべて文章にしてみなよ! 最高に面白いぜ!
 だからこそ、その作品に僕の心はぐっと鷲掴みにされるのだ。

 近頃ではYou Tubeで名作文学作品を紹介しているのを見かける。
 単に「あらすじ」を紹介しているだけ。チャンネル登録者数も多いが、私は信じられない思いだ。文学は「ストーリー」だけだと思っているのだろうか。もう一度最初から、体系的に義務教育のすべてを学び直したほうが良いのではないだろうか、この無能。「ストーリー」だけですべてを語れると考えているのか、この白痴。
 文学作品に限らず、映画、マンガ、舞台、すべての芸術は短絡的にストーリーだけを理解すればいいというものではないのことは容易に分かるはず。特に「小説」は作者の表現方法、感受性、巧みな描写、暗喩などに感銘を受けることが多いはずが、物語だけを切り取って何かを分かった気になられても、僕はとても困ってしまう。それで何かをすくい取った気にならないで。

 とにかく短絡的思考は忌避すべきだと僕は常々考えている。
「動画」というのはぼーっとしていても勝手に流れていくものだから、何も考えなくていいが、作品を形作る文章をすりつぶして口元までスプーンで運んで貰わないと摂取できないとか、その頭の中はどうなっているのだろうと思ってしまう。思考というのは言葉で行われるもので、要するに感情しかない動物みたいに頭の中には何もないということなのだが、これ以上はここでは言及しない。また別の機会にでも。

 ニコルソン・ベイカーの魅力は「徹底的にストーリーを拒否していること」、これに尽きると思う。
「小説とは物語で、それをかい摘んで説明して欲しい」という何も分かっていない恍惚の人を吹き飛ばしてくれる爽快感が彼の作品には宿っている。

「読めば分かる!」




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