大河ドラマの「麒麟がくる」を見ながら十二国記の思い出を振り返る(2)<風の海 迷宮の岸編>
毎週日曜日は「麒麟がくる」なわけです。
ですが、麒麟といえば十二国記でしょ!と思ったあなた。
この記事は、十二国記ファンのための記事です。
コロナ禍で気持ちが落ち込みがちですよね。
そんなとき、十二国記を読んでみませんか?
集中するにつれ、まわりがだんだん静かになっていき、気持ちが深く落ち着いてきますよ!
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幼(いとけな)き麒麟に迫り来る決断の時──神獣である麒麟が王を選び玉座に据える十二国。その一つ戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)は、天地を揺るがす〈蝕(しょく)〉で蓬莱(ほうらい)に流され、人の子として育った。十年の時を経て故国(くに)へと戻されるも、役割を理解できぬ麒麟の葛藤が始まる。我こそはと名乗りを挙げる者たちを前に、この国の命運を担うべき「王」を選ぶことはできるのだろうか。
前作の「月の影 影の海」から10数年前、泰麒が小さい頃のお話です。陽子が慶国で王になった時には、戴国は大きく荒れています。王も麒麟もいないと言われていました。一体何があったのでしょうか?
・・・と、事件の話はこの本では描かれません。とても平和な、泰麒が蓬山で思い悩みながら王を選ぶまでのお話です。
この作品の、序章と一章の初めの節がお気に入りです。
雪が降っていた。
大きく重い切片が、冷えた空気の中を沈み込むようにして降りしきっていた。天を仰げば空は白、そこに灰色の薄い影が無数に滲む。踊るように舞い落ちたそれは、染み入る速度で宙を横切り、目線で追うといつの間にか白い。
これは泰麒が蓬山から蓬莱(日本)に流されていた間、何かと彼を疎んでいた祖母に庭の外に出されていた時の描写。
(強情な子やね)
祖母は関西から嫁いできた。いまも故郷ん訛が消えない。
(泣くくらいやったら可愛げもあるのに)
(お義母さん。そんな、きつく言わなくても)
(あんたらが甘やかすし、依怙地な子になるんやわ)
(でも)
二人が喧嘩をするのは切ない。いつも必ず母が負けて、決まって風呂場の掃除に行く。そこでこっそり泣くのを知っていた。
泰麒がいじらしいです。もともと優しい子だったんですね。
続いて一章の最初の節です。
命がどこから来るのか知る者はいないし、ましてや人でないものならなおさらだった。命も意識も、彼女の中に唐突に宿った。
目覚めたとき彼女は白い枝の下にいて、頭の中にはただ一つの言葉しかなかった。
ー泰麒。
泰麒の女怪、汕子が生まれたときの様子です。母親の子供に対する思いはこのようなものなのでしょうか。
しかし泰麒は蝕で蓬莱に流されてしまいます。ここで序章に繋がりますね。汕子は長い間、流された泰麒を探し求めることになります。そして、ついに彼を見つけて蓬山に戻すことができます。
その際、泰麒は母親と別れを受け入れるのでした。
(本当にそうだったんだ)
自分という異分子がいたから、
(ぼくは、うちにいてはいけなかったんだ)
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彼がもう少し頑張れば、何もかにもがうまくいって、誰も起こったり泣いたりせずにいられたのではないかと思えるのに。
(でももう、ぼくは二度とうちには帰れない)
涙が零れた。
それは郷愁ではなく、愛惜だった。
彼はすでに、別離を受け入れてしまっていた。
健気で強い泰麒から、初めて郷愁ではなく愛惜という表現を知りました。たのは十二国記が初でした。
辛く切ないシーンが多い前半ですが、ここから一気に、蓬山の平和で忙しない時間が始まります。
驍宗との出会い、使令の折伏、景麒との触れ合い、ハラハラするシーンのどれもが、最後に待ち受ける「選択」に向かう大事な出来事。
物語は、弾けるような泰麒の笑顔でハッピーエンドを迎えます。
おすすめ度 ★★★★★