伝統は、新しい。140年間、つねに「いま」を積み重ねてきた岡重さんから学んだこと。
前書き
みなさんこんにちは!
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科3回生の畑佐瞳です。
現在、わたしはYouTubeチームの一員で、そのなかでもありがたいことにリーダーとして活動させていただいているのですが、
今回は少しnoteチームにお邪魔させていただき、昨年度の紙面「着る京都」の“番外編”としてこの記事を書かせていただくことになりました!
じつはわたしは昨年度まではSNSチームに所属していて、またこれまでの紙面活動でもnoteの記事を書く機会がなかったため、今回はALKOTTO3年目にして初note。写真や動画ではなく、文字で伝えることはわたしにとってなかなか無いことなので、ちゃんと書けるかな、みんなに伝わるかなという不安と、
これまでに無い挑戦にワクワクする気持ちが入り混じっております...
ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。
本編
もう1年も前のことになりましたが、わたしは「岡重」という京都の染め屋さんを取材させていただきました。
岡重さんって初めて聞く方もおられるかもしれませんが、昨年度の紙面で取り上げた「Whole Love Kyoto」さんの商品HANAO SHOESに鼻緒を提供しているブランドのひとつなんですね。
そうしたつながりから、今回は岡重さんに取材する機会をいただき、岡重さんとは?の部分から岡重さんの活躍ぶりにいたるまで、取材を通して知ったことを踏まえながらお伝えしていきます。そして最後に、取材から伝統についてわたしが学んだこと、考えたことを記事にしたいと思います。
岡重さんって?
京都の染め屋の老舗。
創業1885年(安政二年)、当時から代々受け継がれてきた伝統的な京友禅染めの技法を使って染めた着物やストール、羽裏、バックなど、さまざまな商品を扱っています。
とくに羽裏は、後ほど詳しく触れていきますが、『羽裏染見本帳』という岡重所蔵の見本帳に残されているデザインが使われていて、そのなかには昔の有名絵師たちのオマージュ作品も収められています。
ほかにも、お客様の希望通りの商品を作る、“お誂え”も行なっています。お誂えとは、お客様の希望通りに商品を作ること。つまり、オーダーメイドのことです。
酒屋から染屋へ
じつは岡重さん、もともとは酒屋だったんです!
少し遡って創業当時、初代岡島卯三郎さん(現在の代表、岡島重雄さんの曽祖父)はもともと酒屋を営んでらっしゃいました。
1850年にイギリスで化学染料が発明されたことをきっかけに営んでいた酒屋を辞め、和装呉服の染色加工業者として京都の室町に「岡重」を創業しました。
それから徐々に化学染料をこなすことができるようになり、岡島さんの父である三代目・岡島重助氏を経て、現在は四代目として岡島重雄さんが受け継いだとのことでした。
現在は京都の木屋町御池上ルに築156年のモダンな京町家づくりの本社社屋を構えています。2階のお部屋からは鴨川を見ることができる最高の立地です!
ただの染め屋ではない!?今の時代に合ったものを。
「もの言われぬものにもの言わすものづくり」
をモットーに、業界の垣根に囚われない創造力を凝らして時代時代で常に新しい物作りを研究する。というのが岡重さんの心得。
もう少し噛み砕いて言うと「染屋という業界を超えて、さらには日本という国さえも超えて、これまで受け継がれてきた伝統に新たなアレンジを加え、今の時代のライフスタイルに合ったものを作っていく」ということでしょうか。
つまり、岡重さんってただ伝統を受け継ぎ、布を染めるだけの染屋ではないんです!だから、ただの染め屋ではない、もっと言うと、これまでにない染め屋とも言えるのではないでしょうか?
『羽裏染見本帳』を使って
岡重さんといえば、「羽裏」。
先ほど冒頭でもお伝えした「羽裏」は、岡重さんというブランドを象徴するものであると思います。
羽裏とは、羽織の裏地を意味していて、袷の羽織を脱いだときに見える内側の背の部分を言います。
岡島さんは
「“裏勝り”という言葉、つまり背中で語る、裏地で語ることこそが日本人のもつ内面効果」
と考えています。なんとも奥深くかっこいい表現です!
この羽裏に使われている絵柄は、岡重の二代目重助さんが残してくれた『羽裏染見本帳』に収められた図案で、この見本帳は今でも大切に保管されています。図案には曽我蕭白や河鍋暁斎など、有名な日本画家から影響を受けた図案が収容されていて、その大胆でインパクトのある図案は現代でも大好評です。
実際に見せていただきましたが、羽織をひらっと開けたときに、その隙間から見えた羽裏は息を飲むほどかっこよかった。これまで見たことのないファッションデザインで、その隙間から見えるド迫力の絵柄に圧倒されました。
じつはこの見本帳、岡島さんが蔵の中から見つけ出したそうで、それまではずっと蔵に眠っていたんだそうです。この復刻した図版を使ったテキスタイルは、現在は重雄さんの息子さんの大策さんが展開されている「MAJIKAO」というブランドで、数寄屋袋や、バックやバンダナのような日常雑貨などさまざまなアイテムに使われています。
染め屋という業界、さらには国さえも超えた幅広い活動
まずは業界を超えた活動。この活動は、わたしが今回ご紹介する中でもいちばん面白いなと感じたもので、神社のお祭りの幕の制作です。
どこの神社かというと、京都ではなく和歌山の高野山八坂神社。そこの夏の祭礼「傘鉾・鬼の舞」で使われてきた傘鉾幕の退色が進んできたため、その復元作業を岡重さんが依頼されたというわけです。その幕は江戸時代の1803年、今から約250年前に染められたもの。まずは麻の生地を織ってくれる人を探すこと、そして元々の藍色を表現することなど、当時の風合いや色味をできるだけ忠実に再現するのに大変苦労したそうです。また制作に多くの段階と製法を要するうえ、制作期間が非常にタイトだったこともあり、作業は困難を極めたといいます。しかし、こうしたなかでも、岡重さんは麻の生地も藍色も完全に復元させ、当初の姿と同じ傘鉾幕を新調することに成功しました。それにしても一枚の幕にそれほどまでに膨大な時間と手間が掛かっているなんて、みなさんは知っていましたか?
ひとつのものを作り上げるために職人たちが膨大な時間と労力を費やしそれぞれの想いが詰まったものというのはこの傘鉾幕に限らず、わたしたちが知らないだけできっと計り知れないほど存在しているのだと思います。今回そのうちのひとつを知れて、わたしはなんだか嬉しく思いました。
もうひとつ、国さえも超えた活動も岡重さんは積極的で、海外ブランドとのコラボも行なっています。
たとえば、イタリアのトップブランド「レウ・ロカティ」とのハンドバッグの製作。岡重さんで染めて、レウ・ロカティさんに仕立ててもらうという豪華なコラボレーションを実現しました。そうして完成したバッグは、西洋らしさがある上品なデザインや色使いでとても高級な印象を受けました。
ほかにも、京都の老舗やパリの老舗、伊勢丹新宿店などの他企業から依頼を受けて、岡重のテキスタイルを使ったアイテムを数多く製作しているそうです。
HANAO SHOESにも岡重要素を。
そして、ここからは紙面でご紹介したWhole Love Kyotoさんとのコラボについて、そのきっかけとコラボ商品HANAO SHOESの魅力をお伝えさせていただきます。
まずHANAO SHOESとは、スニーカーに鼻緒をつけたもので、一見、下駄のように見えてよく見るとスニーカーであるというユニークな商品。
HANAO SHOESと岡重さんのコラボのきっかけは京都芸術大学が運営する京都伝統文化イノベーション研究センター(T5)のウェブサイト記事用にWhole Love Kyotoの溝部千花さんが岡重さんの工房を訪ねたことでした。それをきっかけに、Whole Love Kyotoさんの『京都の職人さん』シリーズで岡重さんとコラボ商品を作ることになったそう。鼻緒の部分に岡重さん所有のテキスタイルが使われています。
そしてそして、岡重さんといえばやはり「羽裏」ということで、柄は鼻緒の裏面に入れました。ふつう鼻緒の表側に柄を持ってくることが多いですが、今回のコラボではせっかくなので岡重特有の羽裏を活かした商品をということで、柄を裏に配した鼻緒を採用するなど岡重さんらしさ溢れるものを作成されました。
さらに、今回の紙面で取り上げさせていただいたHANAO SHOESは昨年ちょうどリニューアルしたばかりで、鼻緒の取り付け・取り外しが可能になったことで、HANAO SHOESを一足買うと、その後はお好みの鼻緒を追加で買い、その日の気分やファッションに合わせて付け替えられるようになりました。このリニューアルに合わせて岡重さん提供の鼻緒のデザインも新たに作り替えたらしく、わたしたちの紙面の撮影に使わせていただいたHANAO SHOESもその新作のひとつ「HANAO SHOES_KYOUYUZEN_梅椿」でした。こちらはその名の通り梅と椿のテキスタイルが使われていますが、私が取材時に見せていただいたものはマッチ棒の柄の鼻緒でした。マッチ棒が柄になっているものを見たことがなかったので、え、マッチ棒!?と、驚きました!
その日の気分やファッションに合わせて鼻緒を付け替え楽しむスタイルって、伝統的な要素がありながら未だなかったファッションの楽しみ方ですよね。そう考えると、伝統×ファッションってやっぱり面白いし奥深いなあ。
これほど活躍される理由
商品ひとつひとつに “和の気配” があるから。
ここまで岡重さんのプロフィール的な話から、もう少し掘り下げたお話しまでいろいろな角度からお話ししてきましたが、なぜこんなにも岡重さんが染め屋という業界、さらには国さえも超えて活躍されているのか。それは、
岡重さんのテキスタイルが、日本独特の「和の間」を中心に据えているため、異業種のアイテムでも異国のアイテムでも、どんなかたちでアレンジしても、どこかに和を感じさせるデザイン性が隠されているから
というのが理由ではないかと私は思います、、、!
「和の間」というのは日本的な模様の間のことで、日本の多くのファッションアイテムに自然な形で使われています。海外の人にとってその独特の「間」は異文化的な違和感となって違いを見つけやすく、それは新しさとして魅力的に映ります。対してわたしたち日本人にとってはあまりに見慣れたものなのでその「間」が新鮮なものには映りません。でもだからこそ、たとえばバッグなどヨーロッパ発祥のアイテムに使われた場合でも、その見慣れた「和の間」によってどこか親しみを感じるのではないかと思います。
つまり岡重さんの「和の間」によるアプローチは、海外の人にとっても日本にとっても美しいと感じる感覚、ちょうどその「間」にある美の基準を接続しているのかしれないなと思いました。
具体例を挙げると、SOUSOUさんの有名な数字の並べ方です。これはインタビューで岡島さんがおっしゃっていた話なのですが、商品の見た目は西洋だけど、並べられた数字の空間の取り方や位置の距離、間合いは和になっていると。(SOUSOUさんのマリメッコの絵、知らない方はぜひ調べてみてください!)
なぜそのような商品になっているのかというと、マリメッコでも活躍され、ヨーロッパ人の好みを知り尽くしているデザイナーであるSOUSOUの脇坂克二さんという方がデザインされているのだそうです!だから、ヨーロッパの方の身近に感じられて、かつ日本っぽさ和を感じる要素を上手い具合に融合させた商品になっているんですね。
わたしもあらためてSOUSOUさんの商品を見ると、確かに日本らしいデザインが絶妙に工夫されているなと感じましたが、きっとわたしたち日本人よりも海外の方が見た方が和を強く感じるのだろうなと思いました。
岡重さんはその和を感じさせるテキスタイルをたくさん持っていて、どんなに斬新な表現であってもそこにはどこか“和の間”、“和の気配”があります。たとえそれが着物だけでなく、ストールやバッグ、バンダナのような日本以外の発祥のものでも。
そんなの、可能性無限大だと思いませんか?まさに、日本のファッションの和を作り出すテキスタイルメーカーです。だから、染め屋という業界、さらには国さえも超えて幅広く活躍されているのだとわたしは思いました。
伝統は守るだけではない、まだまだ広がる伝統の可能性。
今回のインタビューでは、岡重さんのことだけでなく、伝統とは何なのかについて学ぶことができました。岡重さんはこれまで受け継がれてきた京友禅の伝統をこれからも維持していくことはもちろん、時代に合わせて新しい京友禅のアイテムを作っていらっしゃることに刺激を受けました。わたしの中で伝統は守るものという考え方が当たり前のように存在していましたが、守り受け継がれてきた伝統をさらに新しいものにアレンジし、新たなものへと作り変えることで、伝統の可能性を広げていくことができる、伝統は守るだけではないという発見と学びになりました。また、新しいものに作り変えたとしてもそこには日本らしさが表現されていて、どこか和を感じさせる。これは先祖代々受け継がれてきた岡重のテキスタイルの魅力で、岡重にしか表せない和の表現なのだと感じました。
日本の伝統産業を代表するブランド岡重さん。
和を受け継ぎ、新たな京友禅の可能性を切り開くブランド岡重さん。
そんな岡重さんから教えてもらったことは、受け継がれてきた伝統を守ること、そしてその伝統をアレンジして新たなブランドを作りだすこと、これこそが「伝統」そのものだということでした。
そしてそれは、いちばん大事な芯の部分をしっかり持ち続けつつ、纏う衣を時代に合わせてしなやかに変えていく、ということでもあります。もうすぐ大学を卒業し、やがて就職を経て、大人へとなっていく自分へのメッセージでもあるとわたしは感じました。
ALKOTTO YouTubeの初投稿「京都の大学生が浴衣で鴨川を歩いてみた」でも、HANAO SHOESを少しご紹介していますので、ぜひご覧ください!https://youtu.be/jrZmyZaDCwQ?si=RmS-wTiOfSkQ-mzk