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【雑記#12】私が本を読む理由についての一考察

ごきげんよう。今回から2〜3回ほど、好きなものについてただ書き殴ろうかと考えています。自己紹介の時にさらっと触れたことはあるけれど、深いところには潜れていなかったような気がして。たまには自己開示をして、"すり身という女は親しみやすい人間である"という印象を皆様に植え付けていかなければなりません。

以下、読書を楽しむニートの記録。


読書の何が楽しいのか

まずはこれについて解剖してみる。思いつく限り、私が読書にのめり込む理由を羅列する。

・自分の好みの本に出会えた時の感動と衝撃
・(シリーズものの場合)主人公たちと一緒に成長できる
・自分で体験することが叶わない人生を生きることができる
・歴史上の人物や偉人に"生きた姿で"会える
・他人の頭の中を覗くことができる背徳感

大体こんな感じでしょうか。
よく言われていますが、人が人生で経験できることというのは限られています。ましてや、犯罪を犯したり、戦に参加したりという経験は、現実ではできるだけしたくないものです。

でも、本の中ではそれができます。犯罪者の行動を疑似体験できるし、坂本龍馬にだってなれます。歴史上の人物の生涯を辿れるし、プリンセスの日常を覗き見したり、日記やエッセイ集であれば、普段関わることのできない人たちの頭の中を覗き見することだってできちゃうし、人とはできない尾籠な話だって、本を相手にすればよいのです。
一種の"背徳感"ですかね。

親に隠れて、布団被って夜中にゲームをしたことがある同士も多いと思います。大人になってからだと、夜中に背脂マシマシラーメンを啜るとか、良いとされている模範的な生活から外れた「悪いこと」をしている感覚に近いです。こういう、自分自身で受け入れるのに抵抗がある罪悪感を、本だけは否定せずに受け入れてくれるのです。

だって、頭の中って、汚い部分や人に知られたくないことがたくさんあるでしょう?(少なくとも私はそう)
そういう、普段の生活で知り得ない他人の一部分を自分と重ね合わせてニヤニヤするのも読書の醍醐味だと考えています。

三島由紀夫「不道徳教育講座」なんかがそうですけれど、いまではああいうブラックジョーク満載の鋭いエッセイは批判的な目で見られますが、私は夜な夜なウイスキーを舐めながらこれを読むのが最近の楽しみです。私自身は「模範的ではないもの」に惹かれる習性があります。

もしかしたら著者も、本心を綺麗事で覆い隠している部分があるのかもしれませんが、嘘をつかれているわけではありませんから、その人の0.5%くらいは知ることができるでしょう。
だから、エッセイなんてものは特に貴重ですね。人が考えていることはその人にしかわかりませんから。

読書の価値って、本当は無いと思います


よく、「読書をするとこういう力が身につきます」と書いてあるサイトを見ますが、たぶん、多くの読書家はそんなこと気にしていないんじゃないでしょうか。
私が読書にハマったきっかけは、小学5年生のときにたまたま読んだ『妖怪アパートの幽雅な日常』でしたが、これ以降は大学に上がるまで今ほど本は読んでませんでした。

家でも学校でも、本を読んでいること=いいことという風潮があって、「なんでそこまでしていい子でいなきゃいけないのか」と思っていました。役に立つとか立たないとかって、本当にどうでも良かったんです。なんでそこに大人たちがこだわるのか理解できなかった。

その後、読書って面白いじゃん!と気づいたのは大学3年生の夏。仕事を始めて、お金も多少貯まって、大きな仕事がひと段落して‥というタイミング。夏休みの前日に突然思い立って、ブックオフで20冊くらいまとめ買いしました。この選書イベントが楽しかった。

例えるなら、秘密基地を作る感覚に近いかもしれません。一冊の本は世の中に大量に出回っているものかもしれませんが、どんな組み合わせで世界を作っていくかは自分次第です。他の誰にも踏み込めない、自分だけの秘密基地を作るようなものだと思います。

幼い時は財力がないので、読みたい本は親の目を一旦通るわけですが、大学生にもなれば好きな本を好きなように買えるんですよね。ヘンな本を買って、親に見えないように、悪い部分を秘めていく過程も大切です。

読書なんて映画やアニメと同じでただのエンタメですから、価値なんか気にするのはナンセンスだと…。世の子供が読書嫌いになる理由がここに詰まってますね。
あなた方は何故役に立たないインターネットを無意味に何時間も見ているのか、と問いたい。
今はデジタルが普及して、本そのものがなくても生きていけるようになりました。読書は役に立つと言われてますが、なんで役に立たなきゃいけないのか、と思います。
今は年に100冊程度読んでいますが、何かに役に立った経験は全くありません。雑学なんかは蓄積していきますが、日常生活でそれをひけらかすことはありませんし…。

読書に価値なんかないけれど、だからと言って、役に立たないから無駄なんてことはないと思います。私は本を読んでいて気に入った言い回しを専用のノートに書き留めていますが、たまーに読み返すと、自分が欲しかった言葉が見つかったりするものです。

孤独は武器となり得るか?


そもそも読書というのは独りで行うもので、読書の楽しさというのは結局「いかに孤独を愛せるか」にかかっているのではないかな、と考える時があります。
周囲の人間と感想を語り合うのも素晴らしいことだけれど、独りで言葉を咀嚼する作業に没頭するのも乙です。

ちなみに、私が本を読む時は、大抵人と距離を取るためとか、1人になりたい時です。このために自室を読書専用ルームとしました。本を読む以外にも、音楽を聴きながらぼーっとしたり、間接照明だけつけて夜な夜な酒を舐めたりしています。

こういう話をすると、孤独は寂しい、と仰る方もいるかもしれませんが、そういうネガティブを潰すのに「没頭」はうってつけですよ。
本に限らず、自分の世界を持つことは、自分の足で立つための土台とは別に、別の素材でその土台を補強したり、予備のネジをかき集める作業だと思っています。基礎の部分は親の躾や人との関わりによって自然と形成されていきますから、後は経験と知識を吸収していくのみです。何が必要かの取捨選択はあなたにしかできないので、胸を張ってガラクタを収集してください。

結論

これまで散々語ったように、読書は何かに役立たせるためにするものではないと、個人的には思っています。
皆様が映画やドラマを見たり、ゲームをするのと変わらないのでは。
ただの現実逃避でただの気まぐれですが、データとは違って消滅する心配がないし、充電が切れて、充電できるスポットを見つけるまで悶々とする…なんてことももちろんありません。

要するに、私にとって、現実逃避をするために馴染みのあるツールが本だったというだけのことです。ゲームでもアニメでも、なんでもよかったと思います。読書がいいことで、アニメやゲームが悪いものであるはずがないので、学生諸君は、好きなものがあるなら、どんな形であれ大切にしてほしいです。


今日のところは以上。

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