自分の発見@蘇る縄文の世界観

混迷する現代に普遍性を回復させ、人類を次のステージに導くために日本に降臨した覚者、空不動の《道》を学ぶ部屋。

自分の発見@蘇る縄文の世界観

混迷する現代に普遍性を回復させ、人類を次のステージに導くために日本に降臨した覚者、空不動の《道》を学ぶ部屋。

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我々に今、必要な行動とは

《道》を歩む  人は誰でも自分だけの人生の道を歩みます。  その中で縁により師を得ることが出来た人は幸せな人です。その師が本物の覚者ならばあなたの精神を高みに引き上げ、救われの実感と真実を知る場所に導いてくれるでしょう。  そうした意味で、空不動に出会い《道》を示された人は幸せな人間です。本物は、自分を本物だと言う必要がないので、見過ごしてしまうからです。  見つける方が見分ける目を持たなければ、《本物》に行き着くことは難しいかも知れません。 《道》の先にあるもの

    • 【朝の食卓】沖縄の話

       先日は朝から笑い声をあげていた相方が、今朝はなにやら困惑の様子。  朝の食卓の開口一番「ねえ、沖縄の問題って知ってる?」と切り出された。  ん〜。何のことを言いたいのかな、と思って黙って次の言葉を待つ。 「知り合いから、沖縄の人の講演会があるから聴きに来てと誘われたのだけど、オスプレイ反対、とかって話らしいのだけどどうなのかしら。」ということらしい。  正直言って、この問題には触れたくない。  ただ私の住んでいる北国でも違う形で類似の事柄が進行しているので、少し自

      • 【思い通りになる法則】

        「引き寄せの法則」という人気の願望実現のメソッドがある。  でも、上手くいく人といかない人がいるらしい。  詳しく知らないので想像と一般論で話すが、上手くいかない人もいる、というからには再現性は必ずしも高くはないのかもしれない。  普通、「法則」の再現度がばらつく場合、どこかに問題がある。  「引き寄せの法則」の場合は、それを行う人が間違った方法で行っているか、伝える人が間違って教えているか、そもそも法則自体に問題があるかのいずれか、またはそれらの組み合わせにより、望

        • 【朝の食卓】臨死体験

          我が家では食事中にスピリチュアルな話をすることが多い。 今朝は相方が朝から寝室で笑い声を上げていたのでそのことを聞いた。 どうやらYouTubeで面白い動画を見たらしい。 その内容が「臨死体験」  臨死体験と言えば、かつては眉唾扱いされた時代もあったが、今日、アメリカなどでは終末医療の現場で「キノコ」由来の幻覚性物質使用による「死への恐怖の劇的な緩和効果」が認められ、合法化され始めるといった動きさえ見られるようになった。  これは言わば「死後体験」の臨床実験が一般化に

        • 固定された記事

        我々に今、必要な行動とは

          本来なら人間は今のように働く必要は無かったのかも知れない。

          「働かざるもの食うべからず」という言葉があるが、これは本当だろうか。  そして本当の意味で使っているのだろうか。  縄文時代の共生文化においては、もっと緩やかな働き方、自然体の働き方であったのではと想像したこともあり、そんな疑問が湧いたので考えてみた。  昔、経済の調べ物をしていて「一年間に地球に入射する太陽エネルギーを経済価値換算すると、全人類がまったく働く必要がないばかりか、80万円相当の収入があることになる。」という記事を何かの本で読んだ。  もう30年以上も前

          本来なら人間は今のように働く必要は無かったのかも知れない。

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!の違い④

           人は誰でも人生のどこかで大きな困難に出会い、絶望の中で「生まれ変わりたい」と願うことがあります。その際の心構えのお話です。 ③からの続き ・・・それに対して、「生まれ変る!」の方は、同じ潜在意識からの妨害行為があるにしても、迷いがない分、立場がぶれないのです。  「生まれ変った」未来との繋がりを"諦め"によって切らずに済む強さがあるのです。  ですから、「生まれ変る!」道を歩む上でのスタンスが常に"自分のフリをして騙そうとする偽もの達"と対峙する《本当の自分》の側に

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!の違い④

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!の違い③

           ②よりの続き ・・・それで始めの「期待と決意の違い」に戻ると、「生まれ変わりたい」の方は、その期待、という思いの背景に「変わらなければいけない」との現実への恐れを感じている自分、「変われるならば」という迷いや疑念のある自分、「相手や、環境がこうなってくれたなら」と条件をつける自分などが隠れている場合があります。  そうすると、自分の「生まれ変わりたい」という思いと、それらの潜在意識の人格達の矛盾する思いのすべてが【思い通りになる法則】に従って現象化してきます。  その

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!の違い③

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!との違い②

          ★①からの続き  ・・・自分というものが《本当の自分》に統合されていれば【思い通りになる法則】は多層に存在する人格のどことも矛盾を起こさないので、表面意識の自分にも望みが叶ったことが素直に納得できる、という仕組みなのです。  つまり、良いことを思えば良いことが起き、悪いことを思えば悪いことが起きる、というシンプルな【思い通りになる法則】は《宇宙》に"思い"を放出し続ける人間の内面の矛盾を解消すれば、そのまま全てが思い通りになった結果、が現実そのものである、ということが自覚

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!との違い②

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!との違い①

          人生で出会う困難は偶然ではない。  人は誰でも人生の中で困難に出会い、絶望し、大きく「生まれ変わりたい」と願う時がやってくることがあります。  一般的にはそれは避けるべき困難、とされていますが、我々は必ずしもそのようには捉えません。  それはある意味「生まれ変る」為のチャンスであり、その困難にどのように向かいあうか、ということがその後の人生を決定する重要な分かれ道になる、と空不動は説きます。  それは「本当の自分」「真の幸福」というものを発見するための導きなのです。

          生まれ変わりたい、と生まれ変わる!との違い①

          偽善と善の違いは何か。 行うことに違いはない。しかし、行っている本人の動機に違いがある。  本人が自らの偽善を自覚している場合は、正しい偽善(?)とは言えない。裏に打算が隠れているのに善行為をしていると思っているのが偽善である。偽善に騙されているのは本人である。では善とは?

          偽善と善の違いは何か。 行うことに違いはない。しかし、行っている本人の動機に違いがある。  本人が自らの偽善を自覚している場合は、正しい偽善(?)とは言えない。裏に打算が隠れているのに善行為をしていると思っているのが偽善である。偽善に騙されているのは本人である。では善とは?

          究極の自己探究メソッド

          "自明行"という自己探究法 "自明行"という自己探究メソッドがある。 覚者である《空不動》が開発し、半世紀に及ぶ歴史がある。 動画: 50年の軌跡 YouTube しかし、知名度は高くない。 なぜか。  個人的感想を言えば、そして誤解を恐れず言えばレベルが高すぎるからではないか、と思っている。  なぜなら、このメソッドは「自明行」という名前の通り、自らを明らかにする、という目的のために開発されたのだが、一般的に自己啓発セミナーで想定されているようなゴールとは違うよ

          自覚症状がないままに進む人類の怖い病気

          と言って、近年のコ◯◯の話ではありません。 でも場合によるともっと大きな問題を引き起こすかもしれない病気があるのです。  それは、、、「自分が考えることは絶対正しい、常に正しい」と思えること、なのです。  「そんな人はザラにいるじゃないか。」と思われるかもしれませんが、実はこれは病気なのです。  これに感染すると、人間は「自分の考えていることは正しい」と思えるようになってしまいます。  実はこの病気はすでに地球上で蔓延しており、一部の人達を除いてほぼ全ての人類が発症

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          "縄文"が話題になる理由

           縄文文化とは  近年、あちらこちらで《縄文》という文字を目にする機会が増えてきたように感じている。  先住民族や古代史への関心の高まりもあって、今年は各地でいろいろなイベントなどもありそうに思う。  ところで、このタイミングで「縄文」というキーワードが人々の脳裏に浮かんできたのはなぜだろうか。  縄文文化は、時代的には紀元前1万5千年前から紀元前3世紀にわたる文明だ。  縄文時代の終わりから弥生時代が始まる。  日本列島が中心だが、環太平洋の各地に類似性のある土

          自己表現と自己主張の大き過ぎる違い

           自己表現と自己主張はどこが違うのであろうか。 「自ずから(おのずから)」と「自ら(みずから)」という言葉がある。  わずかな文字の違いしかないが意味は大きく異なる。  人間と《宇宙》の構造、というものに関係してくる。  人間とは本来、多層構造であり、高次の世界から、この現実と呼ばれる物質的4次元世界まで貫いて生命活動を展開している存在である、という認識を共有したい。  その自分という存在全体の、最前線にいるのが普段、自分と思っている意識なのだが、この自分という意識

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          蘇る縄文の《世界観》

          蘇る縄文の普遍的《世界観》 今、縄文文化がクローズアップされている。  縄文文化は「調和と共生」の文化である。 争いの無い平和な文明を1万年以上にもわたって維持することができた世界でも例を見ない古代文明である。  現代に、縄文文化への憧れが強まっているのは、自然回帰への欲求だけではない。  それは、現代の大きな流れであるテクノロジーの進歩を推進する意識に、本来の人間性の発現を抑圧する危険性が存在することを現代人はどこかで感じていて、縄文文化の中にその危険性を回避する鍵

          「まるで宗教の中に《神》がいるように思わされているが、宗教が存在する前から《神》は存在していたのだ。宗教と関係なく真理は存在する、という事実を忘れてはならない。」 以前、師から聞いた言葉である。このように思考に巧妙に刷り込まれているのだ。

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