やりたいことリストと理由
私の高校生活も残りわずか。
今日の帰り道には友人に今年の感謝を伝えてきた。
そうして一人になった後、やたらと文章を書きたくなった。
多分年末の片付け欲の一部だろう。
やりたいことリストの存在
私はスマホを持っていない。
その代わりに愛用しているのが古のipod。
中学2年生の時に父から貰い受けて、音楽プレーヤーとして愛用してきた。
充電もあまり持たないので、使うのは音楽とメモだけ。
そのメモの中に、TO DO LISTというタイトルの文書がある。
書いてあるのはやりたいことリスト。
この先の人生で成し遂げたいことと興味を持っていることが書いてある。
例えば、「価値観を揺るがされるような本を読む」。
例えば、「シーリングスタンプ」、「演劇」、「写経」。
日々、本や周りの人の話から刺激を受けるたびに記してきた。
だがiPodの寿命が近づいているので、そろそろ書き移さなくてはいけない。
そこでこの機になぜそれを望むのかを見直しながら、ここに記そうと思う。
その1「図書室の読みたい本を全部読む」
私は本を読むのが好きだ。
本は知識をもたらし、心を動かし、憧れを与えてくれる。
だから高校では図書委員を務め、休み時間もたいてい図書室で過ごした。
けれど読みたい本を全て読み切るという願いは未だ叶っていない。
というよりも読んだ次から読みたい本が増えていく。
それは当然だろう。
だから高校で果たせないであろう願いを叶えるため、去年私は図書室の先生に蔵書目録を貰えるかどうかを尋ねた。
先生は国語の先生で、授業を受けたことはなかったけれど図書室には毎日いらしていて、たまに本の話をした。
ありがたい事に先生には快諾をいただけたのだが、その時はデータを取り出すだけの作業を後回しにしてしまった。
しばらくした日、委員会の打ち合わせがある昼休みに先生は来なかった。
先生が倒れたのだという話を聞いた。
後日、先生が持病を患っていたこと、そしてお亡くなりになられたことを知った。
その後、自分は何もしていない。
データを受け取ってもいないし、新しい先生への許可も求めていない。
実際、自分と先生が特別親しかったわけではないと思う。
それでも先生の存在は確かにこのことを願うたびに思い出される。
そしてその中に本を読むこと以上の価値を見出させる。
その価値とは高校という場での読書に付随するものだろう。
この限られた場の中での、未来の礎となる読書は特別なものだと思う。
先生と自分との関わりは、その特別に与える意味を豊かにするはずだ。
まとめ
読書という行為は等しく自分に益をもたらしてくれる。
それをさらに豊かにするのは読書に意味を加えることである。
私は高校の読書を、先生との関わりを介して考えて、大切にしていきたい。
タイトル画像引用元:https://unsplash.com