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「逃げはOKで、その先の好きを目指す」と、その実践

Podcast「となりの雑談」を聴いて、逃げることへの視点に共感した。
嫌なことから逃げるのは全然いいけど、嫌いの逆=好ましい方向を見据えることが大切という見方。「嫌だ」の感覚への向き合い方として、しっくりくる発想に思えた。

自分のルールに連想を広げると、「嫌いから逃げるよりも好きに向かう事」という点にも通じるかもしれない。
このルールの半分は、嫌いに向き合うのがしんどいという所から来ている。
嫌いは強いメッセージだ。他人の行動と感覚が結びつくほど批判するのは難しく思えて、だからこそ嫌と感じたことを嫌と言うことへの恐さをいつからか抱えるようになった。日々の中でも嫌悪を何かの手違いか間違いだと考えようとすることがよくある。

最近は自分の感覚に素直になる流れが起こっていて、嫌悪もありふれたものだと受け入れ始めた。そこで嫌悪を肯定する考え方として、サクさん(パーソナリティの方)の最初のアイデアを好ましく受け入れた。
他人は表面に出さないのに私は気になって耐えられない、なんてことが結構ある。そのうっとうしいシグナルも、住みよい世界にするための材料と思えるかもしれない。


具体例。
今は近くに住む妹と二人で暮らしているのだけど、彼女が私の部屋に入ってくるのに抵抗を感じる。目線がポイントな気がする。
ただし、気になるときもあれば話を聞きたいときもある。常に嫌なわけではないので、線引き(not拒絶)を適切にすることで楽しい暮らしのための同居人になるかもしれない。
でも、少し肉を焼いただけで煮物半分持ってくのはずるい。

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