歌を聴いて涙して、時間芸術と空間芸術を
こつこつ丁寧に平日を積み重ねて、一週間を終えた。
授業にも誠実に向き合ったし、部活やコミュニケーションでも満足するための行動を果たせた。
ストレスは土曜の今日に、満足のいく暮らしをすることで昇華しようと思っていたのだが、朝からモチベーションも気分も低空飛行でいた。
私は根が後ろ向きで、ネガティブなタイプだ。
それでもポジティブであるべきだという信念を持ち、対症療法を実践することで前向きに振舞おうとしていて、事実それは大方上手くいっている。
はず。
でも少し理性が目を離すと感情が暴走して、自責や悲観の感情に支配されてしまう。
今日の午前中も、そういう状況に陥っていた。
そんな時は、メモを取ることにしている。
考えたことを片っ端からノートに記していくと、自然と歪んだ論理などを俯瞰して眺められるようになり、悪循環から解放される。
だからさっきも、音楽を聴きながらペンを走らせていた。
そうしていたら、はるまきごはんさんの「地球をあげる」が流れてきて、気づけば涙を流していた。
そうすると、普段はわりかし冷めているのの反動なのか、昂った気持ちを抑えられなくて「もっと泣きたい」と曲を漁っていった。
そうしてスピーカーからイヤホンに変え、曲の世界に没入したら嗚咽をこらえきれない程に号泣してしまった。
それが一番最初のプレイリスト。
時間芸術と空間芸術というくくりがある。
音楽や映画、ライブなどは時間芸術で、絵画や彫刻、建築などは空間芸術に含まれる。
つまり時間変化するかしないかの区別である。
今日、私が泣いていたのは感情の動きを自分で制御することが出来ず、ただ曲が進むがままに心を動かされていたからだ。
久々にここまで深く刺さるものに出会ったが、今までもアニメなどからそういう体験を受け取ってきた。
これは時間をコントロールできる時間芸術の側面に強く根付いている。
感情の変化量により直接的に働きかけることができる。
一方で空間芸術は、時間に直結しづらいため時間芸術ほど変化量を演出することは難しい。
逆に、その時々の雰囲気を噛みしめることが出来るのが時間芸術だ。
好きな本の一節を何度も読み返したり、大事な所を丹念に見たりすることが出来るため、感情自体に作用する側面が強い。
心地よさだとか「いい気分を求めているとき」と、新鮮さのような「変化量を求めているとき」がある。
その時々に応じて、どちらを求めるかを選択していくといいと思う。