目的と手段の考え方(訳:ラーメンが美味しかった)
明日の受験もあるので手短に。
最近考えている目的と手段という考え方と、意味や価値に重きを置く考え方は繋がっていると追うことに気づいた。
意味や価値は目的が手段に対して下す評価であるからだ。
だから私から出発して考えてたどり着いた先が同じだったということで、改めて言葉にすると嬉しさが湧いてくる。
ではこの考えにおいて目的こそが最重要なのであるけれども、目的が手段に変わるという事柄としては何が挙げられるだろう。
今まで一番大切だったものが、気づいたらそれ以上を見つけていつの間にか2番目になっていた、ということはいくつか経験してきたが、その一つが食事である。
何か美味いものをと思って結局この店に辿り着いた。
頼んだのは飛び魚出汁の温玉付きのそばで、食べながら幸せを感じた。
本来食べるという行為はエネルギーを蓄えることを目的とした手段であったが、30分前の私にとっては温玉を食べることこそが目的であり、そのための生であった。
汁まで飲み干して、-cosxとx軸の回転体の形をしたお椀と店内を一通り眺めてごちそうさまを口にした。
帰りにツタヤに寄ってチェンソーマンを買って、ただいまホテル。
明日の受験のために今があり、その後のチェンソーマンのために受験がある。
そう考えることで頑張れる気がする。