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軸のために輪す

自分は周りの人に比べて楽しさを感じる頻度が低く、そのため楽しむことの優先順位が低い。
楽しいことをするという他人の行動指針は理解できるが、それは自分には適用できない。
かといってほかの基準を定めているわけでもなく、今はただ漠然とした好感度を基に比較して針路を定めているにすぎない。
この状態のデメリットは、行動に対するフィードバックが難しいため、環境に自分を適応させられない点である。
この状態を脱するために、行動指針を「自分の軸を明確にする」と一時的に定義することを考えたい。


軸という言葉から

今の自分には軸という言葉のみがあって、その定義がはっきりとしていない。
類似する言葉は「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」の何者。
ここで、辞書による定義は次の通り。


①回転するものの中心となる棒。特に、車輪の心棒。
⑦活動・運動の中心となるもの。かなめ。中軸。
⑨物体が回転するときの中心となる直線。その物体に固定したと考える直線で、空間的位置が変わることがないもの。地球の地軸、こまの心棒など。回転軸。
出典:デジタル大辞泉(小学館)


この定義に関して、私は今運動、あるいは回転しているのだろうか。
軸に関して自分の古典力学の眼に映るものは、第一に振り子運動であり、それにまつわる束縛力である。
軸を確認するためには、軸の存在を仮定してそこに働く束縛力を知る、すなわち位置の変化を測ればよいではないか。
すなわち、自分の軸を明確にするためには、まず行動すればよいのだ。


この気づきに関して、最近自分が考えていることに、具体的な経験をせよということがある。
運命とか意味とかといった抽象的な事柄を考えたい自分は、具体的な事柄はおろそかにしがちな傾向がある。
しかし、抽象にこめられた具体性の密度が低いままでは何も得られない気がしている。
この具体が抽象の礎となることが行動が思想の軸を象ることとつながった気がしている。
このように、異なる手法で導かれた2つの結論が共通点を持つことは出発点である軸を確かにしていくのだろう。


具体的な経験、あるいは行動とは

これまでに、軸の明確化という抽象的な目的を分割し、小さな基準として「具体的な経験あるいは行動を重ねる」ということに至った。
最後に「具体的」の意味を分解して、単純な意味に捉えなおして文を終える。
類似する言葉は自覚的。
自分の行動になんらかの意図と意味を持って自覚的に行動することであると定義する。
自分の中にない経験を得ることを目的として、今までにない行動をとること。
あるいは、自分が得た経験よりも質の高い経験を得ることを目的として、より洗練した行動をとること。
広く深く、が具体的の定義である。
これらの経験はともに自分にとって新しいものであるから、その点で具体性の判定ができるだろう。
もちろん自分のアンテナが高ければすべての経験を新しいと捉えられるだろうが、非現実的なのでこの条件を満たす経験のみを具体的な行動に含めることにする。

以上。

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