念願のフィレンツェ到着
※これは、今から15年ほど前、私がイタリアに短期留学した時のお話です。
成田空港から、パリのシャルルドゴール空港を経由してやっとこさ、フィレンツェのペレトラ空港に到着した私。
特にトラブルはなかったけども、途中シャルルドゴール空港で夜中に7時間ほど飛行機乗り換えまで、トランジットのため時間をつぶすことに。
(トランジットの使い方合ってます??)
ズボラなもので、何にも記録しておらずあくまでも私の記憶なのですが、夜23時とかにシャルルドゴールに着いたんだったと思います。
なので、夜中でお店は何もやってないし、人もあんまりいないし海外だし、なんかこえーって思いながら、待合室的なベンチで一人で待ったなあ…
当時はスマホもないし、何をして時間をつぶしていたのか、もはや覚えておりません。
でも、やたらとエルメスのお店が煌びやかだったのとか、ロクシタンの広告を見て、日本にもあるお店の広告で少しホっとしたのとか、うっすらと記憶がよみがえってきます。
そして、無事に飛行機を乗り換え(少し小さめのやつ、プロペラ機というのだろうか…)ペレトラ空港に着いたのは、朝の9時でした(現地時間)。
空港に着くと、荷物を受け取って出た所に日本人の女の子。
これが、私とさっちゃんの初めての対面。わざわざ仕事をどうにかこうにかして、空港まで迎えに来てくれるという優しさ。これにはマジで感謝しかありません。
そして、空港からフィレンツェ中央駅までバスで移動するのに、チケットの買い方を教えてもらい、フィレンツェへ。
そこから、今回お世話になるマリアのお家まで徒歩5分くらい??だったでしょうか…学校を決めたものの、現地の事をそこまで調べていなかった割に、近くに市場があったりスーパーがあったり、ものすごく恵まれた立地で2か月を過ごすことに。
マリアのお家のブザーを鳴らすと、
「キーエ?キーエ?!」とヒステリックな悲鳴のような声…
(こわっ←内心)
さっちゃんがイタリア語で事情を説明してくれて、無事中へ。
後で教えてもらったのですが、キーエと言うのはイタリア語で「Chi ē?」という、どなたですか?という事だったらしい。お気づきかと思いますが、この時点で、NHKイタリア語講座で勉強したことは一切活かせていない私(苦笑)
マリアの家は大通りに面していて、酔っ払いなどのいたずらピンポンが多いらしく、思わずピンポンに出る時はヒステリック気味になるようでした。
(私が住んでいる時も、ピンポンが鳴ると、宅急便的な人にもいつもマリアは怒鳴ってたので 笑)
私の部屋はかなり広くて、10畳くらいあったかも?
ベッドと2脚の椅子とテーブル、大きめのソファも2つありました。ドアの横にはオイルヒーター。10月~12月頃のフィレンツェは、東京の気温とそんなに変わらないので、十分温かく過ごせました。
部屋には、石原裕次郎的なガウン(あのワイングラス片手に着ているようなやつね)が用意されていて、お風呂上りはこれ来て部屋まで来ればいいから、とマリアが説明してくれました。どうやら、バスタオル的な文化がなさそうだったのですが、私はイケアでデカいバスタオルを買って持参していたので、部屋に戻ってから自分の体を拭きふきしておりました。
お風呂、トイレは共用で、私が行ったころにはスペイン人の女の子二人と、日本人の女の子が一人既に住んでいて、三人にはとても良くしてもらいました。特に、日本人の女の子はすっごく仲良くしてもらいました。今でも時々連絡を取ったりします。
着いた日にはその日本人の女の子は外出していて、帰ったら色々教えるね。というメモを残してくれていました。なので、後日マリア家のルールはこの子から教えてもらう事になります。
話がそれましたが、荷物を部屋に置いてから、さっちゃんがご飯をご馳走してくれるという事で、さっちゃんのお家に遊びに行くことに。
確か、すごく歩いたような…?記憶です。
さっちゃんのお家は郊外のアパートで、すごくお洒落な室内に、日本の私の実家感満載の部屋は到底足元にも及ばぬダサさだと痛感いたしました。
さっちゃんは、イタリアでの生活を色々話しながら、美味しいパスタを作ってくれて、これがまた美味しかったな~。懐かしい。
昼間は革職人の師匠の工房で仕事をして、家に帰ってからや週末などに自分の作品を作っているんだそう。
すっごくお洒落で個性的で、色使いもカラフルな革のカバンを作っていて、めちゃくちゃかっこいい!と感動したものです。
さて、着いたのは確か週末だったので、翌週から語学学校が始まりますが、到着した日のエピソードはこのくらいかな。
また続きは後日に。
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