趣味のハードル上げすぎ問題
夫が写真ワークショップに出かけた。年に一度、写真に興味のある老若男女が泊まりがけで何処かに出かけ、写真を撮り、講評会?をし、写真集を作って、展示会をやる、という活動(たぶん。参加したことはないので聞く限り)をしている。
だいぶ前から楽しそうにしていた。楽しみがあるのはいいことだ。こんなカメラを使ったらどうだろう、このフィルムはどうだろう、こんな感じで撮ったら、、、そうやって考えて、良くしていこうという試み。その試行錯誤、創意工夫を苦もなく楽しくできる、そういう意欲が湧いてくることこそ趣味と言えそう。
折しも私自身は、最近自分には本当にやりたいことなんて何もないのではないかと思っていたところだ。
私は映画館に一人でもよく行くし、美味しいものを食べるのも好き、読書も割とするしゲームも好きだけど、それらについて深く思考を巡らすことはなく、創意工夫の余地がない。せいぜい気持ちよくできるように環境を整えるくらいである。主に受け取り消費しているだけで、消費とは、ただの暇つぶしなのではないか。
ひとが趣味を語るのを聞くときにも、それは消費か、という視点が加わった。入社式で今年の新人が自己紹介しているのを聞き流しながら、随分と消費に偏っているなあと感じていた。漫画読むのがすきです。音楽聴くのがすきです。お酒飲むのがすきです。
ではクリエイティブであったならどうか。生産的な趣味であっても、それは本当に私自身がやりたくて、一人で夢中になれることなのか、なんて考えたりもする。
もし無人島に一人だったなら、素敵な服のコーディネートを考えたりするのだろうか。メイクをするだろうか、絵を描くだろうか。もちろんそれが好きな人ならするだろう。私はするのだろうか。それを見てくれて、イイネと言ってくれる第三者の存在なしにやりたいと思うことはなんだろう。
趣味のハードルを自ら上げすぎて、趣味を聞かれるのが面倒になってきてしまった。
ご趣味は?なんて昭和のお見合いみたいな質問を投げかけられる機会はほとんど無いけれど、休日は何してるんですか、なんてよく聞かれることだ。
聞く方は大した興味もなく、何ならまた会った時に同じ質問をしたりするのだから適当に答えればいいものを。
もうこれは、何かに夢中になって創意工夫したい、という私の渇望なのである。