常識による追い込み漁に象で対処する
「カナダいつ来る?」
「仕事辞めるから、次の職がすぐ決まらなかったら行けるかなあ」
「そうなのかぁ!間が空きますように!」
けっこう前の、友人とのメールのやり取り。次の仕事が見つからないことを祈ってくるのはユニークすぎるので、必ず会いに行こうと思った。
仕事を辞めると言うと、なんで?次は?と問われるばかりで、その頃の私は正直辟易していたのだった。
「えっ、なんで?」
と言われる時ちょっと嫌な感じがするのは、常識に反していると責め立てる意図がこの"なんで"に含まれているから。
言っている方は無意識であったとしても、ネガティブに受け取った事柄に対して発せられている場合が多い。
なんで仕事を辞める、なんで大学に行かない、なんで結婚しない、など。
それは即ちその人の常識の範囲を示しているだけなのだが、しつこく問われた暁には鉄拳をお見舞いしたくなる。
誰しも何らかのカテゴリではマイノリティになり得る。だから似たような生活、似たような考え方の集団の中に居るのは楽だけど快適じゃない場合がある。
ひとつはみ出た部分を、周囲の人になぜ、なぜ、と問われ続ければ、自分は出来損ないの非常識野郎なのか…という気がしてくるだろう。
できれば様々な考えを持った人が常に周囲にいて、動物園状態であって欲しい。インドのゾウもガラパゴスのイグアナも居て、もう狭い範囲の常識なんか通用しない。大抵のことは、まあそういうこともあるよねで済まされるだろう。
狭小な常識で追い込み漁をかけてくる漁師にはインドで一度修行してきてもらいたい。
と言いつつ、私も狭小な常識で人を無意識に追い込んでいることはないだろうか。私自身もガラパゴスへ行くべきではないか、いやその前にカナダか。とにかく広い視野を持つようにしたいなあ。
友人ひとりに私が救われたように、凝り固まった考えにがんじがらめにされそうな時、ひとりでもその考えをリセットしてくれる人がいればいいのかも。
結局、ゾウ一頭いれくれればいいのかも。