電子書籍の未来
電子書籍は、若者よりも、むしろ老人の間で好評を博していると、英国の新聞「ガーディアン紙」が2012年5月27日の記事で伝えている。
視力の衰えている高齢の人々が、読書を楽しむには、これまで公共図書館に、ほんの少ししか置かれていない大活字本に頼るしかなかった。
文字は大きいかわりに、本としては、かさばって重く、またタイトルも限られている。自分の好きなのが、文字の大きな本になっているとは限らない。
しかし、電子読書端末を使えば、リューマチに苦しむ人も手軽に持てるし、文字の大きさも自由に変えられる。また、トルストイの「戦争と平和」からベストセラー官能小説「グレイのなんとか」まで、読みたいものは、何でも揃っているといってもいい。
しかも、無料で読めるものがゴマンとあり、家から出ることもなく、好きな本を自由にダウンロードできる。思わず、サイフのヒモもゆるむというものであろう。
この国でも、電子書籍が根付くかどうかは、ひとえに高齢者世代にかかっているといえよう。なんといっても、65歳以上の人口は、3600万人を超えている。筆者もそのひとり。
いっぽう、若者に対しては、そのまま本の内容を機器に流し込むだけでは、絶対に普及することはあるまい。そこに、何か工夫が必要であろう。英国では、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」をアドベンチャー・ゲームに書き直したものが発売されている。原作も添付されているそうである。
わが国でも、このアイデアを活かせないだろうか。著作権の切れた名作、例えば、「モンテ・クリスト伯」「宝島」「金瓶梅」「顎十郎捕物帳」などから自分の好きなものを選び、読者が自らアドベンチャー・ゲームとして再創作するというのは、どうだろうか。
現代は、ものを書きたいと思っている人が、ワンサといるので、応募者が少なくて困るということは、まずないだろう。しかも、ミリオンセラーになれば、莫大な額の印税が懐に入ってくるとなれば、なおさらである。
小説ではなく、わたしは戯曲を書きたいという者もいるかもしれない。シェイクスピアの翻訳は、坪内逍遥をはじめとして、いろんな人が手掛けているので、それを参考にして、英文が読めない人も、独自に現代語訳に挑戦できるのではあるまいか。
シェイクスピア翻訳コンテストを開くのも、面白いかもしれない。
木下順二は、マクベスの魔女のセリフ「フェアはファウル、ファウルはフェア」を「輝く光は暗い闇、暗い闇は輝く光」と訳しているが、本当にシェイクスピアの英語は、曖昧だからこそ、翻訳する意欲が湧くとは言えまいか。
優秀作は、舞台で上演ということになれば、参加者の意気も上がることであろう。こんなことから、現在の日本を覆っている閉塞状況を打ち破るような新しい文化が生まれるのではないか
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Ebooks: winners in the generation game | Ebooks | The Guardian