我が子との遭遇|"Reaction"ではなく"Redirection"を
また海に行ってきました。
娘は今回も躊躇せず一人で波打ち際へハイハイしていきました。
海と空が出会う地平線に向かって大きく手を振り挙げる、最近一歳になったばかりの娘。
そばで見つめていた親はとても誇らしい気分でした。
普段からエネルギーに溢れる娘は常に笑顔を絶やさず、変顔で笑かしてきたり、意味をなさない一人しゃべりを延々と繰り広げたり、今まさに可愛さのピーク。夫婦揃ってメロメロです。
しかし最近、彼女は”<親の努力の>結果を振り出しに戻す行動”にどうやらはまってしまったようなのです。
掃除したばかりの床にご飯を投げ捨てたり、片付けたものを片っ端から引き出してきたり、調理中点火したコンロの火をすかさず消してきたり。
英語ではこの行動のことを"Undo"と言いますが、意味はご想像の通り”<一度したことを>元通りにする”です。
リピートされると、悪意があるようにも感じてしまう。
つい数か月前まで、忍耐力の乏しい私はしびれを切らして声を荒げてしまったり、娘を押しのけてしまうことがありました。
そんな中、先輩ママさんや友人がリマインドしてくれたことがありました。
「赤ちゃんのすることすべては学びの行為」
赤ちゃんはどんな時も学んでいてそのプロセスが親にとってはマイナスになることもある。
知っているようで知らなかった子育ての知識でした。
この視点を頭の中に取り入れて大分楽になり、何度も“Undo”してくる娘を愛の眼差しで見守る余裕さえ出てきました。
悪意など全くないことが分かって、「一生懸命学んでるんだね、えらいね」と思えるようになりました。
とは言っても調理中にコンロの火をつけては消され、つけては消され・・・という現実は変わらないのでこっちの作業が全く進まず(泣)。
ご飯がなかなか出来なければぐずり始めるのは結局娘です。
マインドセットは変えられた。
「じゃあどのように対応するのか?」と地域の児童専門ナースに相談したところ、「Reaction(反応)の代わりにRedirection(切り替え)を与えてあげて」とアドバイスがありました。
例えばコンロの火を何度も消されるとき、感情的に”やめて!”と言って押しのけるのは”Reaction“。
「それはママがお料理できないからやめようね」と理由を落ち着いて説明した上で娘の体ごとその場から離し他の遊びを提案するのが”Redirection“。
なるほど、と思いました。
ご飯をやみくもに投げられる時も、一旦お皿をテーブルから引き下げ少量ずつ提供してみたり、自主的に食べたがる心をくじかずに食べることを少し援助してみたり。
そうこうしているうちに娘が食べるリズムをつかむことが分かりました。
何を試しても吐かれたり、投げ捨てることをやめない場合には(味が相当不味くない限り)「おなかが空いていないのだな」と割り切り、取り敢えず外で遊ばせたりします。
これには「今は食事の時間だから食べなければいけない」という変なこだわりを捨てることや、「おなかが空けば食べる」と楽観的に考える自分を許容することも必要でした。
こうしてトンネルの出口は見えてきましたが、床が常に汚くなるのはどうやら避けられないようで・・。
昨晩の夕食後も相変わらず、夫婦は息つく暇もなく床や椅子に落ちてへばりついた食べ物の後始末。
一連の仕事を終えて「いつまでこれやんなきゃいけないのかなぁー(泣)」と弱音を吐く私。
すると私を見つめていた夫が突然、「人生は束の間だね」と笑顔で言ったのです。
「今アリスを美しいと思った瞬間も、フローラ(娘)が面白い顔をした瞬間も、現実なのか確認する間もなく一秒先の忙しい未来に向かって過ぎ去っていく。」
「今僕たちが生きてる場所は天国だ。フローラが落とした食べ物を掃除した日々をいつか自分は恋しく思うんだろうな。」
成熟した彼の言葉にうるっとしました。
そう、“幸せな今”を立ち止まってかみしめたいのにいつも忙しさが未来へ向かって私たちの背中を押してくる。
裏庭で遊ばせていた娘の様子を見に行くと、夕日に照らされた芝生の上でたった今、一人立ちを成功させた彼女の姿が目に飛び込んできました。
「すごい、やったー!」
喜ぶ3人で大きなグループハグ。それを包みこむ温かい光。
「幸せだね」
まるで天国のようでした。