【MASSARA感想】たとえば、明日を見据えるとして
MASSARA感想文、特大遅刻で提出させていただきます……。
事前に詳細なストーリーが明かされないまま開幕を迎えた、舞台『MASSARA』。ポスタービジュアルとともに、キャッチコピーである「すべての物語はいつも、まっさらからはじまる。」という文言だけが事前に公開されていました。
このテキストを見たとき、私は「かなり作り手側の認識に寄った言葉だな」と感じました。演劇であれ小説であれ、何かしらの物語が我々の元に届くとき、それはエンタメとして既にラッピングまで済んだ状態で提供される故に「まっさら」ではなく、何らかの彩りを内包しているものだと考えているからです。観客である自分自身はエンタメの消費者でしかない!という自覚があり、物語のことは干渉しようがしまいが勝手に進行していくものだと捉えていたので、「物語へ干渉する」「紡いでいく」という意識に作り手としての眼差しを感じたのかもしれません。本作ではともに高校時代を過ごした6人の様子が描かれていますが、人間のバックボーンや内面こそが「まっさら」たりえない最たる例だと思っていたので(なんなら生まれた瞬間から様々な文脈が与えられていくものだと解釈しています)、本作における「まっさら」とはどのようなものなのか、注目して鑑賞してしまいました。
歌もダンスも盛りだくさん、バンドシーンもあるのにエンタメとしてのベクトルがand JOY!と違いすぎて最高。そんな夏の思い出その2。
以下、全てネタバレです。
物語の話
「白」は色の一つとして十分市民権を得てはいるけど、まっさらなときの「地の色」でもあると思っています。まっさら=白のイメージは舞台演出でも明確に意識されていて、後半にあるケイの独白のシーンでは真っ白でがらんどうなセットに転換するし、彼らの思い出がまっさらではなかったと想起することでベッドの枕元の小道具が色付くし、挙げようと思えばいくらでも挙げられます。この解釈は、作品の範疇を超えて言葉の分野においても生きているように思います。「まっさら」を埋めきれなかった領域を指す「余白」という日本語もその一つで、まっさら故に露呈している地の色を「白」と認識しているからこそ、この字が与えられている訳で……。でも、白って決してがらんどうな何かを構成するだけの存在ではなくて、望んで白さを追い求める人だっていていいはずなんですよね。今までの環境とは異なる場所で再びスタートを切るとき、確かにそれは「まっさら」になるかもしれないけど、新しい場所、やったことのない挑戦に飛び込む覚悟なんかは基本的に評価されるべきものだと思います。
とはいえ、他5人と比べるとケイのパーソナリティーはかなり秘匿されているので、観客に見せられた人物像だけを根拠にして、意図的に作られたケイの「余白」を考察と称してガンガン埋めていくのはあんまり得策じゃないよなあ……と、解釈の一歩手前で揺れています。考察はやったほうが断然おもしろいんですけどね。
ケイの言動からは現状のまっさらを肯定的には捉えていないことや、彼自身が自覚している「まっさら」から脱出するために、高校時代の日々に彩りを与えてくれた5人を集めたことが分かります。でも、5人とも自分の人生の歩み方には迷いがあって、異質なほどまっさらに描かれるケイと本質的にはそう変わらないように感じました。
隣の芝が青い感情はみんなに普遍的に存在していて、これを自分なりに受け入れたり飲み込んだりできるようになるまでは、自己実現の渇望が止むことはないんですかね。うまいこと折り合いをつけて生きていきたいものです。今の自分にはまだできる気がしないけど、既に社会に出てる大人たちは大なり小なり成し得ていることだから、自分も早くその領域に到達して楽になりた~い!と思っていたのに、『MASSARA』はその反対側の方向へと優しく背中を押す力も秘めていたようで、自分の軸がぐらぐらしている。自分らしさを追い求めることを気安く肯定するのは、ある側面からは無責任のように見えてしまいがちだけど、周りが認めてくれる程度には手放さずにいてもいいんですかね?綺麗事かもしれないけど、精神衛生的にはそっちのほうが人生豊かに過ごせる気がする。
楽曲の話
前提として、全員歌が上手い。歌声も綺麗で本当に大好き。
re:start
この舞台の通底音とも受け取れる、未来への第一歩の歌。めちゃくちゃ好き。ストレートプレイともミュージカルとも異なる、ショー要素を含んだ舞台を生で観るのは『MASSARA』がはじめてだったけど、ショーにふさわしい曲ってこういうのなんだろうなと感じた。この曲を貫く一本の軸はあるけれど、AメロやBメロ、サビなどどれをとってもその色合いが違っていて本当に良い曲。大好き。「and JOY!」オーラスのアンコールで歌ったとの情報を仕入れたのですが、オリ曲扱いになるんですかね?黒スーツ風の衣装も最高。最初の一瞬しか着ないのがもったいないくらい。侍、羽織ってるものをオープニングで放りがちな2024夏。
文化祭Verも本当に良くて、バンド始めたての高校生感にあふれているし、なんといっても(リョウタロウを演じている)こんぴボーカルが新鮮で……。矢花がウクレレで練習?してるのが可愛くて可愛くて、バンドでもいつもよりストラップ短めなのがケイの初々しさをより魅力的に演出していて最高最高最高!となってたら、ブログで音周りへのこだわりを垣間見てしまってしんどい。鑑賞中の幸せなしんどさのピークは「シックスパック」のみなさんの出演シーンでした。大好き。名前はダサいけど。
MASSARA
不思議なラップの曲。淡々と、それでいて情熱も秘めてるような曲。侍のダンスって、揃ってるというより各々の個性が出ている印象だったから、歌い手以外があれだけ揃った大衆の内の一人に溶け込んでいるのが凄いのと同時に少し怖い。めちゃくちゃ見応えのあるパフォーマンスなのに、作品のテーマを踏まえるとどきどきしてしまう。
ジャケットを脱いで整列すると、ユースの子たちの黒のラインが入ったひらひらの衣装の中にシンプルな真っ白シャツの侍が配置されていて、馴染んでいるのに白さが目を引く。
ナントカナルサ
ダンのがんばり曲。これを聴くとダン幸せになって~!!の気持ちでいっぱいになる。観終わって振り返ると、あんなに怒られてばかりのダンは正直とび職には向いてないんだろうな~と感じてしまって、彼のひたむきさと健気さがしんどいけど、観劇中は楽しい気持ちでいっぱいになれるステージづくり力が凄い。ラスサビで工事現場のセットを使ってパルクールするのは「この業界を受け入れて、乗りこなしていく」というメタファーかと思ったけど、琳寧先生の得意分野を活かすためのパフォーマンスでした。普通にすごすぎ。
狂いかけた歯車
会社員パフォーマンス。ハルキにとって「鏡の中で僕を見つめる一人の男」にリョウタロウを重ねて見ていることは疑いようがないのですが、じゃあ、ハルキはどうなりたいの?という問いには答えが出ないもどかしさも感じました。スーツでデスクワーク、みんな移動がちょこちょこしていて可愛い。と思ったら、整列すると無個性な集団のように映るのでそのギャップの大きさもあいまって怖い。デスクに置かれたパソコンが発光して、うす暗い照明の中で彼らの顔が青白く照らされるのがなんともいえない嫌さがある。実際にサラリーマンとして就職してもここまで個性が消されることはないんだろうけど、ハルキの場合はリョウタロウという個に執着してるから、余計に無個性な環境に見えているんだろうな~と思いました。
White Love
タカが主演の映画仕立て。とにかくダンスも演出も良くて、大光のスキルが目いっぱい活かされているのはもちろんのこと、街灯を使ったりスクリーンの裏でエリちゃんとシルエットで踊ったり、観ていてずっとワクワクしてた。タカのまっすぐさ、嘘偽りのない感情がダイレクトに流れ込んできて幸せな気持ちになれる。甘酸っぱいね。
タカは真っ白の衣装だけど、他の出演者は全員映画の撮影スタッフとして目まぐるしく踊っていて、監督のこんぴがカチンコを鳴らしてまわる後ろを嶺亜が椅子をもってついていったり、照明の琳寧や音声の克樹、カメラの矢花がバタバタしていたり。衣装がめちゃくちゃ好きなテイストで嬉しい。
愛なんだ
タカの打ちひしがれた歌い方も、やさぐれて貰った飲み物を放り投げちゃうのも、全部全部愛おしい。タカがみんなに愛されてるのがダイレクトに伝わってきて、その温かさのおすそ分けを頂いている気分になります。「AMAZUPPAI」パートの歌は、どこをとっても愛で満ちてる。
雨傘
ただでさえ曲が良いのに、克樹が歌うとその良さが天元突破してしまう。ひたむきに努力を積み重ねることができる人が「使い果たせ生命」と歌うとき、この詞自体のパワーがさらに何倍にもなって観客の上に降り注ぐ気がしています。克樹の飽くなきひたむきさは絶対にカズトに投影されてるので、カズトとして「雨傘」を歌い上げ、踊る姿を観ることができて幸せでした。
RUN
「彼らが、彼らなりの道を歩み続けられる人たちでありますように」と願わずにはいられない時間でした。ラスサビ前のケイのソロパートで「それでも何かを」と歌い、続く「信じた」では口を閉ざすのは、彼が明日の存在をどこか信じ切れていなかったからなんでしょうか。夜の公園で話していたときも「明日か……」と呟いていたように、今日できなかったことも明日はできるかもしれない、という発想が抜け落ちているように思います。だからこそ、5人を集めるための方法がああいう形になってしまったわけで……。作中で明確な答えは出されませんが、この「RUN」が明確な転換点になることは確実だと感じたので、彼らの、彼ららしい、納得のいく選択を願うばかりです。
登場人物の話
ハルキ
恐らく、最も心持ちが近しい登場人物は誰ですかと観客に尋ねたら一、二を争うくらい共感されていそうなハルキ。何者かになりたかった、けれど大人になるにつれて特別な人間にはなれないと悟ってしまった経験は誰もが持ち合わせているはず。
タカが喧嘩の際に挙げていたハルキの過去の夢はサッカー選手や消防士などみんなの先頭に立つヒーロー。今でこそフツーに新卒社会人をこなしているものの、5人を引き連れて物語を突き動かしていくのは紛れもなくハルキだったと思います。
高校に入学したばかりの頃、ケイのカメラを巡る喧嘩で、助けるための先陣を切っていたのも確かハルキだったはず……?「人生のすべてを賭けてヒーローすること」を諦めてしまっていても、ヒーローになりたかった過去の欠片はハルキの中にちゃんと息づいているように見えました。
作中では特にリョウタロウとつるんでいる描写がかなりありましたが、タイミングを合わせて挨拶したり、二人とも現在の仕事に満足していなかったり、二人でのパフォーマンス曲があったりと似たもの同士に見えるよう演出されていました。ただ、根っからの似た者同士というわけではなく、ハルキがリョウタロウをロールモデルとしているように見えました。なんかリョウタロウって、進学する大学と学部を友達と同じにしたり、病室に入るときの挨拶「うぃーす!」をわざわざ自分から揃えに行ったりするタイプには見えないし……。
彼女とのエピソードが語られるのもハルキとリョウタロウだけだし、個人の事情を踏まえなければ自己実現から最も離れた職に就いているのも彼らだし、関係性はまだまだ考察しがいがありそうな二人組です。
カズト
個人的に6人の中で最も共感できたのがカズト。私は、カズトと違って私の両親のことをいつも正しくて完璧な人たちだとは思っていないけど、彼らの考え方や人生の選択、何を後悔しているか、また、私を「育てる」ことに時間もお金も割いてくれていることを理解しているから、自分の意志を貫かないほうがいい領域では自己主張をしません。
それでも、自分が考える「良い人生」と両親が考える「良い人生」が全く同じはずがなくて、この乖離の落としどころを見つけられずに苦しんでいる様子に見ているこちらも胸が痛くなりました。というのも、観ている私もモラトリアムの恩恵にギリギリ預かっている状態で、今後の身の振り方に関して両親と絶賛バトル中のため、一緒に頑張ろうな……と勝手に同胞意識を抱いていました。大学院を卒業後のカズトの進路をものすごく心配しています。感情移入しすぎ。
とはいえ、本命ではなかった高校へ入学して早々喧嘩に混じり、6人で仲良く過ごすことを選んだカズトには、自分らしさを自分で貫くための秘めたる強さがちゃんとあると思います。母親に知れたら、そんな人たちとつるむのはやめなさい!って絶対言われてそうだし。
普段は落ち着いたキャラクターなので、彼の感情が露呈するシーンはどれも惹きつけられました。いつもの思いやりを失ってしまうほどマイナス感情全開でバンドを辞めようとする場面はもちろんのこと、恋バナの際エリちゃんにハートマークを書いてもらったとタカに告げる場面なんかは「タカをからかってやろう」の気持ちがダダ洩れで可愛いな~と思いながら観てました。カズトのあざとさにめろめろ。
ダン
高校時代は野球に勤しんでいたものの、家庭の事情から大学へは進学せず鳶職に就いたダン。病室でも職場でも前向きに振る舞い(意味は忘れてるけど)好きな言葉は「ケセラセラ」、パフォーマンス曲『ナントカナルサ』では直面する困難すら乗りこなすくらいの勢いで仕事をする、そんな明るさを感じさせるダンですが、5人が去ったあとの一人での歌唱には『ナントカナルサ』の詞を言い聞かせるようなニュアンスがあり、19歳の青年の等身大の弱さや、友人たちの中で一人就職せざるを得なかった境遇の違いを噛み締めるような感情が伝わりました。
でも、それを5人には決して見せない強さこそが、ダンの「赤色」には込められているのかな、と解釈しています。
6人の関係性の中では、克樹演じるカズトと特に親しげな印象を受けました。オープニングのre:startでは1番にりねぽんユニゾンパートがあるし、ケイの病室で二人はずっとベッドの下手側にいるし、「AMAZUPPAI」パートでは二人で公園を訪れてるし……。
その理由をあえて挙げるなら、家族を失う、ないし失いかけているという共通点があるからではないでしょうか。ダンが大学進学を諦めたのは父親の病が理由であり、19歳時点では体調が芳しくないことが匂わされています。一方カズトは姉の失踪(駆け落ち?)が理由で両親の厳しさが増し、勉強に対するプレッシャーが強まっている。家族の形が変わってしまったことにより高校生の時点で自己実現が阻害されてしまう、という共通点が二人を結び付かせているのかもしれないなと思いました。
タカ
表情豊かで、素直に感情を表に出しているタカ。ケイからの連絡を受け、仕事を放り出し一番乗りで病室に駆け付けるほど仲間想いな一面はきっと他の5人にも届いていて、その一つが『愛なんだ』の優しさとしてタカに還元されているように感じました。ハルキやリョウタロウは明らかにしないような恋心にも真っ直ぐ向き合う姿も魅力的なキャラクターでした。
恐らく、明るいキャラクターとして設定されているのは6人の中でタカとダンですが、一番の違いは他者のマイナス感情との関わり方でしょうか。ダンは相手の感情に寄り添うタイプですが、タカは相手が一度は持っていたはずの情熱を絶やさないために、自分の感情を全力でぶつけられるタイプ。そのためには自分が傷つけられようとも構わないし、実際に傷つけられても相手を想って許してしまう包容力も持ち合わせています。
願望の押しつけは時に「わがまま」として観客の目に映りそうなものですが、タカの言動からは真剣に相手と向き合う感情が滲みます。ハルキに夢を諦めてほしくない、カズトにキーボードを弾いてほしい。これは彼らが一度は望み、そして手放してしまったもの。だからこそ、タカは本心から相手のことを想っているんだぞと印象づけていて、普段のおちゃらけた姿からは想像できない、アンバランスなほどの献身でくらくらしました。
リョウタロウ
ブレない軸があり、さらに実現させるための行動力も持ち合わせているリョウタロウ。一匹狼のように飄々としていても、友達の力を必要としているときにあれだけ真剣に頭を下げられる人って実はそんなにいない気がします。さらっと明かされた「アイドルやロックスターになりたい」という素直な夢は、ともすると幼さのようにも映りますが、積極的に他人と足並みを揃えるタイプではないと自覚しているからこそ「自分の希望で」「バンド(≒団体行動)をやる」ために本気でお願いしているはずで、人として素直に尊敬できるような人柄もハルキを惹きつけた一つの要因だと解釈しました。
自分と正反対なキャラクターなので、他の子たちと比べるとあんまりリョウタロウのことが分からないままでいます。でも、たぶんリョウタロウって他人に対して「分かってほしい」という期待を持っていないように見えるので、意図的に隠されている部分が多い作品だということを除いても、ただの観客には分かりようがない領域が広めなキャラクターだと感じました。当て書きのこんぴ要素はこの点が一番大きいように感じたので、5人の友人たちだけでなく、こんぴ担にも、私が見たものとはまた違った姿が見えているのかな~と思います。
ケイ
まっさらな人。でも、上記の通り私は「まっさらな人」は存在しない、するとしてもそれは他人との関わりが完全に廃絶されてきた人だと思ってるので、ケイはちっともまっさらじゃないから!!!と思いながら観劇していました。たとえカメラに触れたきっかけがケイにとって前向きな理由ではなかったとしても、現在の彼を形成するアイデンティティとして十分誇れるもののように思えます。気になったシーンは、最後に6人で写真を撮るとき、ケイが使い慣れたカメラにタイマー機能があると知らないと判明したこと。自分を被写体にするそぶりがないから見落としていたのかもしれないけど、ケイが大切にしているものの中にもまだ未知の領域が存在していると分かります。今回はカズトがタイマーの使い方を見つけてくれたように、5人の友人たちや、これから出会うはずのまだ見ぬ人たちがケイのことをまっさらではなくしていく、発見していく、彩っていくんだろうなと思いました。
というか、こんなに自分が人間の「まっさら」さを否定したいのは、自分自身の「まっさら」さを認めたくないからだと思います。絶賛就活中、他人との違い・自分の個性、あるようでないような「自分らしさ」をどうにかこうにか言語化してエントリーシートを埋めようとしている自分にとって「まっさら」は許されないことのように感じていました。けれど、自分自身にはまだまだ余白があること、良くも悪くも人生で得たものは簡単には失われないこと。ままならん人生をままならんなりにどうにか生きていくことは、思ったよりハードルが低いのかもしれません。
個人的な解釈ですが、ケイはみんなを集めるために自分を傷つける勇気を持ててしまう人だということが、あんまりよくない方法でまっさらの余白を埋めちゃってるんだな~と感じました。LINEも続かないし全員ではもう数年集まっていないし、それでも6人に縋りたくて、写真を撮るときは万年撮影係だったケイが自主的に6人を集める。そのための手段がああいう形なのは、裏を返せばそれだけケイが思い詰めていた証明とも言えるけど、その覚悟の使い道次第では絶対に自分の「まっさら」を変えていけるのに……と思いました。みんなが久しぶりに集まったこの出来事が、ケイにとって誰かを、友情を、形のない繋がりを「信じる」きっかけになればいいな。
ケイくん社会進出応援部したい。てか、ケイって現在時点でフリーターなんですかね?家族も祖母以外明かされていないし、骨折以外の疾患も言及されていないし、明日の存在も軽んじてしまうような友達ってめちゃくちゃ心配すぎる。バイトでも趣味でもいいからどこかのコミュニティーに参加させて、ケイくんを社会参画させたいです。おせっかいおばさんすぎ。
総括
自分自身も今後の指針に迷いがある中で、自分では切り捨てていたり、逆に想像もしなかった選択肢があったりすることを教えてもらえたし、自分の選択に自信を持てるよう、この舞台に背中を押してもらえた気がします。まっさらでは心安らかに過ごせないなと思うのはきっとケイと同じ気持ちだし、それでもまっさらな人間がいるとは思えない。けど、自分の中にある「まっさら」さを受け入れたり、反対に何かで彩ると決めたとしても何を使って、どんな風に、どのくらい時間をかけて彩るのか、丁寧に接してあげたりすることも大事かもな、と思いました。本当に良い作品で、観劇を通じてたくさんの感情や明日も頑張るための力をもらってしまったのに、その主演が大好きなアイドルたちという、こんなに幸運なオタクはいません。タイトなスケジュールの中でこんなに素敵な物語を作り上げてくださったことに、心から感謝です。
その他の話
以下、雑感です。
まっさら色=白だと解釈しているので、あとから加入して自分でメンバーカラーを白と決めた矢花が「ケイ」という役を担うのが、すこしこわかった。(さすがに現実と虚構をごっちゃにしすぎ)
自分もカズトのように必死になって机にかじりついていた時期がある。たぶん今後の人生で受験期ほど本気で勉強する日は来ないだろうなと薄々感じているのに、大学で貯めた経験値は受験よりはるかに有益なことのように思えてしまって、あの頃よりもうまく賢さをまとわせることができるようになってしまったのが少し寂しい。
こんなにまっさらであることを肯定したくないのは、人間が人間である以上まっさらであることはありえなくて、しかも、自分のまっさらさを認める恐怖がぬぐえないからかも。
序盤のケイの一人語り中、ケイがそこそこの高さからステージに飛び降りるところ、ケイくんの語り口の頼りなさもあいまってめちゃくちゃぞっとする。怪我する可能性を想定していないというか、怪我しても別にいいやと思ってそうというか。
エンディングの演出の、初見のインパクトがいまだに忘れられない。あんなことしてもいいんだ!?という衝撃がまずあって、その後にステージ上の彩りが目まぐるしく変化していくので、「まっさらは細部まで駆逐されるわけではないけど、それでも人との関わりや自分からアクションを起こすことで彩られていく」という意味だと解釈しました。
去年、やばりねぽんがTikTokで投稿した動画で踊っていたトンボコープの『風の噂』という曲の、Cメロの詞の解釈が完全にカズトのそれと同じで不思議な縁を感じました。今がまっさらなら、これから何者にでもなれるよね。