内気で臆病なマルチリンガル(1)
日本語、英語、東南アジアの言語を使って生活し、働いてもいますが、内気で臆病です。世界がこわすぎていつもびくびく。中年になってから、ASD+ADHDと診断され、現在、PTSDと複雑性PTSDの治療中です。そんなわたしがどうやって生き延びてきたのか、ちょこっと書いてみようと思います。今回は、学生時代(大学&大学院)+最初の就職までについてです。わたしにとってのサポートなし時代です。
日本の大学時代:ゼミからすーっと脱落
私大の経済系学部に入学しました。やったら「女子」が少なく、全体の3%しかいませんでした。わたしはもともとひとり大好き人間なのですが、あまりにも女子が少なかったせいか、孤独な星が引き合うように女子友だちができました。みんながしゃべってくれるので、聞いていれば、居場所がありました。しかし、ゼミというものは、つながりが苦手、プレゼンも苦手なわたしにはいたたまれず、すーっと脱落しました。脱落後、そのゼミの教授が個人指導をしてくださり、原書(英語)をだいぶ読みました。ゼミや卒論が必修ではなかったので、卒業もできました。
米国の大学時代:「死んでるのかと思ったよ」
TOEFLのスコアが十分だったため、ESLなしで私大&州立大の2校でスペイン語専攻の学部生を経験しました。当地では内気さや従順さに価値は置かれていないので、わたしはダメな子でした。あまりにもおとなしいので授業に「参加」していない状態になってしまい、ローカルの同級生から「死んでいるのかと思ったよ」と言われる始末。しかしながら、読み書きが得意で筆記試験は高得点だったこと、事前準備ができるスピーチも上手にこなせたことで、GPAは4.0でした。奨学金も得て、卒業したかったのですが、事故により2年次修了にて中退、帰国。
日本の大学院時代・修士課程:「あの子、すごい頭わるいよね」
私大の修士課程(経済系)に進学。日本の大学院はいきおいゼミが中心になるので、プレゼンやディスカッションで、これが内気なわたしには地獄。のちにわかったことですが、わたしは(発達障害ゆえに)耳から情報を入れて処理することがすごく苦手で、ノートを取ることもできないので、ここでもやはり「死んでいる」子でした。しかしながら、やはり読み書きが強いことと、米国時代にリサーチペーパーの書き方をしっかり習っていたことで生き延びました。祝・修士号取得。のちに、ある教授がわたしのことを指して「すごい頭わるいよね」とほかの学生たちに言いふらしていたことが発覚(センセイへ:わたし、赤い門のある大学の教授になりました)。
日本の大学院時代・博士課程:発表できるけど、議論できない
国立の博士課程(経済系)に編入。このころになると、準備すれば発表できるけど、質疑応答とか議論とか、その場で当意即妙にやりとりするのが無理なんだ、と自覚していました。でも、博士課程では修士のころほどゼミにでなくていいし、特殊研究という名の「自習したことを申告すればいい」的な科目もあったので、ここでもほとんどしゃべることなく(!!)乗り切ってしまいました。学会報告は? なーんと、やってません。しかし、それではプロになれないので、指導教官と相談の上、(口頭発表ではなく)査読論文の投稿で業績を増やしました。東南アジアへの奨学金留学(3年間)を経て、学位論文を書き、祝・博士号取得。
初めての就職・面接:しゃべれなくて、この世の終わり状態
博士論文を書いている最中に、母校の助手(現在でいう助教のようなポジション)の採用試験を受けました。例のごとく、書類や論文は高評価。しかーし、面接がひどかったです。わたしは情報を集めるのが苦手というか、そこに気がまわっていかないタイプなので、準備しないでいきなり面接にいって会議室のドアを開けたら、なーんとですね、面接官が60人いたんですよ!!!!!! というのは勘違いで、教授会終了後そのままそこを会場にして、面接担当の3名の教授が質問してただけなんですが、わたしからみたら全員面接官にみえちゃって。なんかめちゃくちゃなプレゼンと質疑応答になっちゃって、この世の終わりみたいでした。
初めての就職・結果:「穴を掘って一緒に埋まりたかった」
ラッキーにも結果は採用。後日、わたしの博論の副査だったシニアの教授(中国経済が専門)からフランス語のメールがきたのですが(先生、怒りすぎてて、でもそれをフランス語にすることでやんわりと伝えてきた)、その内容が「あまりにも恥ずかしくて、穴を掘って君と一緒に埋まりたかったよ」というものでした。こわかったー。しかし、このときわたしは「未婚」で妊娠していたので、常勤のアカポスに就けたことはほんとうにありがたかったです。後日、教授会での着任挨拶(妊娠34週)のときは、もちろん念入りに準備して、しっかりスピーチしました。
小まとめに代えて:サポートを受けよう!
わたしが学生だったときは、まだ発達障害の診断がついてなかったし、大学側にも発達障害の学生のサポートというものが整っていませんでした。でも、いまの時代はちがいます。もし、わたしのように、読み書きは得意だし、一方的にしゃべるだけならできる、でも質疑応答や議論がすごく苦手というような傾向があったら、しかるべきところに相談し、何らかの支援や合理的配慮を受けてほしいと思います(大学だったら学生支援室とかサポートセンターみたいなところへ行きましょう)。
ともあれ、すごく感謝していることは、内気だったり、うまくしゃべれなかったりしても、「よくみるとなんかやってるなあ、へんてこだけど、この子は学者向きかもしれん、わからんけど」とわたしに可能性を見てくださった人たちの存在です。
お読みいただき、ありがとうございました。