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いつも居てくれる人(1)|セラピスト

 わたしにとって、いつも居てくれる人について書きたいと思います。今回は、セラピスト(臨床心理士・公認心理師)についてです。



セラピストとの出会い

 
『精神看護』という雑誌をめくっていて、「ふしぎの国のデイケア」(たぶん、こんな感じのタイトル)という連載エッセイに出会ったのが、セラピストHさんとの出会いです。文章がこころに響く感じがありました。

 このひとだったら、もう無理しなくていいよ、と言ってくれそう。京大博士で、当時、大学教員だったのも、頼もしかった。わたし自身も博士で、大学教員だから、わたしの境遇が伝わりやすいひとかな、と期待しました。

 資格は、臨床心理士(その後、公認心理師も取得)。エッセイの略歴に書いてあったカウンセリングルームのサイトからお問い合わせフォームで初回面接を予約しました。その後、アセスメント面接4回を経て、治療契約を結びました。

セラピストとしていること

 毎週1回50分、決まった場所で、決まった椅子に、決まった角度でHさんと向かい合って、セラピーを受けてきました。ときどき夏休みとか冬休みとかありますが、原則上記のようなリズムを保って、お会いします。

 Hさんは精神分析のオリエンテーションがあり、わたしの面接も自由連想法に基づいていると思います。そのときそのときに、浮かんできたことを話して、きいてもらって、話し合って、あるいは沈黙して、感情や言葉を交わします。

 具体的な困りごとを相談することもありますが(マネジメント面接)、このごろは、たいていの時間は、わたしがこれまでの人生でままならなかったこと=自分の気持ちにアクセスして率直に話すこと、話し合うことを試みています。

わたしにとってのセラピスト(Hさん)

 いつもそこに居てくれる人です。わたしがおとなしくても、不安で震えても、言い返せなくても、話し合えなくても、黙っていても、パニックになって面接に行けなくても、面接がお休みの日も、面接以外の時間も、そこに必ず居てくれる。

 Hさんとのセラピーを始める前から精神科には通っていて、セラピーが始まる前に、適応障害、ASD+ADHD、始まってから、PTSD+複雑性PTSDの診断がついて、なるほど、わたしはなかなか病んでいたのだな、と気づくことができました。

 Hさんとは、そういう疾患名(カテゴリ)で話すことはほとんどなく、でも、わたしがそうなってしまった、わたしという人間の小さな、でも確かにそこにある歴史をいっしょに探し、物語りを編み、生き続けていく勇気をもらっています。

むすびに

 2018年に始めたHさんとの心理面接は、250回を超えました。こんなに長く受けることがあるんだと、素人としてびっくりしています。最初は1回1万円、現在は1.2万円で、収入にたいして小さくない金額ですが、わたしにとってはよかったです。

 わたしにとって、生育家庭はしんどいものですし、20年余りパートナーシップのあった人は昨年急逝してしまい、子どもも外国暮らしで、これから先に、誰かと格別に親密な関係を紡いでいけるかというと難しいように思います。

 だから、いま恵まれている友人などと、ほどほどに親密な関係を続けていきたいし、新しい誰かとそういう交流をもてるようになりたい。そのためには、もうすこし「頑なすぎない自分」を育てていきたくて、これからもセラピーを続けたい。

 このnoteは、セラピストのHさんには届かないですが、小さな静かな声で、ありがとうございます、と伝えたいです。
 
 読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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