Lars, Lucy & 8Legions「Lars Lucy 8legions」について(後編) 「語られていないものを語る」第一回 (機械、音楽、環境)
Lars, Lucy & 8legionsの1stアルバム「Lars Lucy 8legions」について可能な限り深く、語り、紹介する記事。後編です。
前編はこちらから
初雪緑茶(@AliceRyokutya)
この企画を思いついた人。日ノ本のオタク。音楽に関してはド素人。今回はMarusanの語りを進行しつつ、アニメカルチャーの視点からアレコレ言う。
Studio Marusan. (@RyutaroKawamura)
初雪緑茶の友人で、音楽を作ったりプログラムを使ったアートを探究したりしている。しばしば緑茶に「マイナー」な音楽を教えている。
3、AKIRA、オマージュ、オタク、ギーク
初雪:次はやっぱりオタクでありギークであること、まぁ『AKIRA』だよね。『AKIRA』に関しては動画の部屋にポスターが映り込んでるし。
さらには曲でも『AKIRA』の台詞が流れるし、しかもそれは音として加工もされてないんだよね。海外のアーティストが日本語の音が面白くて使うみたいなのとは違くて。
Marusan:今の音楽批評では絶対に関わってくるものとしてVaporwave的な観点があって、そこは考えなきゃいけないかな。例えば彼のYouTubeチャンネルに「Eternal」っていう動画があって、そのままアニメ映像を流しているんだよね。これってすごい、そのままVaporwave的というか、でもLarsの場合はVaporwave的なアイロニーはなくて、そこが結構重要なんじゃないかって。
初雪:そうだよね、Larsは『AKIRA』のファンだよね。無邪気に『AKIRA』が好きだから使おうかなっていうような。
Marusan:そうね、僕もそう感じる。そこがね、このアーティストを聴くうえで重要だと思う。
初雪:そもVaporwaveって一言でこれって言えるの?
Marusan:道端を歩いているその辺の人がみんな知っているとは言わないけど、それなりに知られているでしょ。『ユリイカ』で特集もあったし。僕はそれもまだ読めていないし、不勉強なんだけど、でもやはりVaporwave以前と以後で音楽はガラッと変わったと思っていて。やっぱりアイロニーだと思うんだよね、メタ的な観点というか、音楽のデータベース性を自覚しているか、っていうのが僕がVaporwaveという言葉で言いたい事。
Vaporwaveはそれとは厳密には違うけど説明するのが難しくて、ネット上のジャンルだからミーム的に広まったところもあるし、いろんなサブジャンルがあるし・・・。
初雪:よくわからないな
Marusan:実際、よくわからないジャンルではあるのね。ただWikipediaの最初にあるように
過去に大量生産されて忘れ去られた人工物や技術への郷愁、消費資本主義や大衆文化、1980年代のヤッピー文化、ニューエイジへの批評や風刺として特徴づけられる。基本的にパソコンとDAWを用いて、素材の加工と切り貼りだけで制作される。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B4)
日本のすごい古い映像とか現在の映像を古く加工したものに、80年代の音楽をすごくスローにしたり、リバーブかけたり加工して、すごいノスタルジーというかアイロニックというか、そういうイメージなんだよね。
ただ今はすごく細分化していて、「これがVaporwave」って言えるものはあまりないんじゃないかな。
(Vaporwaveは、他の音楽も多かれ少なかれそうであるように、あるいはそれ以上に、純粋に音楽のジャンルにとどまらないものであるし、だからこそそれは、作者が意識しているかしていないかに関わらず、全ての音楽、そしてその聴取に関わってくるとも言えるのではないだろうか。例えば、Vaporwaveで最もよく知られていると思われる作品『Floral Shoppe』の作者Vektroidはインタヴューで以下のように語っている。)
Vektroid:ヴェイパーウェイヴはノスタルジアなものへの分析を促すようなアイデアで、それは単なる音楽ジャンルとして捉えるよりもずっと大きなことだと思っています。
ヴェイパーウェイヴは、その概念を理解した人たちが、それにインスパイアされ、さまざま手法を用いて、独特で革新的なアイデアを生み出す乗り物なんです。それが私にとっての救いです。
(https://tabi-labo.com/289089/vw-vektroid)
初雪:Larsにアイロニーはないけど、ノスタルジーはある、…あるかな?
Marusan:ある、けどそう意味で明らかにVaporwave以降のアーティストではある。アイロニーを込めてるとか、音楽的な流行に乗ろうとかはしているわけではないと思うけど、Vaporwave的な流れに参与はしていると思う。
初雪:話を戻すけれど、なぜ『AKIRA』(以下の『AKIRA』は基本的にアニメ映画版を念頭に置いている)なのかってところだよね。でもMarusanは『AKIRA』を知らないっていう。
Marusan:まだ観てないね。
初雪:『AKIRA』はまさに1980年代、バブル、オリンピック、Vaporwaveの元となった大量消費、機械。ポストアポカリプス、最終戦争後の東京で、不良たちが近未来的なバイクに乗って、鉄雄というキャラクターは最終的に機械を巻き込みながら肉塊になっていくという・・・まぁイメージとしては一致しているよな。一方で『AKIRA』にある暴力性みたいなのは感じないし、過度に結びつける必要はないと思う。純粋にファンだからっていうぐらいがしっくりくる。
音楽そのものに深く『AKIRA』的なものがあるわけではなくて、それこそ『AKIRA』自体が外人受けの良い日本のカルチャーの象徴的側面があるから、Larsはもっと好きな日本の作品があるのかもしれない。それこそ『GHOST IN THE SHELL』なんかも
Marusan:今言おうとしてた。動画にあるよね
初雪:だから海外で市民権を得ている作品なんだよね。この動画なんかは私のわかる限りではタイトル以外に攻殻機動隊要素はない、それこそ「殻の中の幽霊」っていう非固有名的な取り方ができるし、『GIS』という作品名をタイトルにしてる深い意味はなさそう。知名度の観点は重要かな。
Marusan:『ベルセルク』もそうか。「Berserk」っていうタイトルの曲がある。12曲目に「Behelit」(『ベルセルク』に登場する物語のキーアイテム)もあるし。
初雪:9曲目「Dream」(「夢を見たの」という『AKIRA』の印象深い会話の音声がそのまま曲に使われている)と14曲目「Tetsuo」は『AKIRA』だし、8曲目「Lord Otomo」は『AKIRA』の作者大友克洋に宛てられた曲だよね。
Marusan:YouTubeには「Ohm」(王蟲)があるし、6曲目「Teto」はナウシカのテトだね。5曲目の「Boargod」はイノシシの神・・・『もののけ姫』か。
初雪:大友克洋、ジブリ、ベルセルク・・・。
Marusan:まあ、日本大好き、アニメカルチャー大好きということで笑、是非来日して欲しい笑
初雪:だから、アニメ的な側面で日本にもっとファンがいてもいいと思うんだよね。セレクトがよくいる日本のアニメ好きの海外オタクの典型だし。
Marusan:だから海外のオタクにうけてるだろうね、コメント欄とかを見ていても・・・あ、すごい面白いな。「Lucy-Teto」を見てるんだけど、
85年くらいの、日本のMIDIポピュラー音楽が向こうに見えてくる。野見祐二さんとか。MC-4を使ってデジアトムを使ってMIDIをドライヴしているカンジ。メロディーが日本語の音感で構成されているように感じます。昭和60年頃に、彼は日本で育ったのかなw?。
https://www.youtube.com/watch?v=uzW6IbggtY8のコメント欄より
日本人でコメントしている人、この他にもちょこちょこいるね。
初雪:でも日本で特異的に受け入れられているわけではないね。
Marusan:あ、J-MUSIC Ensemble(日本のゲーソンやアニソンのカバーで有名)もコメント残してる。
初雪:しかし、タイトルを読解する楽しさはあるね。
Marusan:4曲目の「Icsmoke」はギークネタなのかな?
初雪:調べたけど、これアルバムのアートワークの機械だね。
Marusan:ああ、まんまじゃん。うわーオタクじゃん笑
そして音楽オタクでもあるんだろうね。そういう趣味を全て合わせてしまったところに生まれた、特異点のようなアーティストだよね。
4、美少女、メカ、スクリーン、顔
初雪:それじゃあ最後に「美少女、メカ、スクリーン、顔」ということで。動画のだいたいでスクリーンは正面を向いてるよね。
初雪:「Lucy&Luna song」の15秒あたりに楽器の説明が入ってるね。
Marusan:あ、後ろにフランツ・カフカがあるね、ていうかコレどこなの?
初雪:家でしょ。
Marusan:いや家だけど、わざわざ本とか積んでるのが良いよね。デザインしてるっていう。
初雪:悪く言えば、見せるための本だよね。
あとアタッシュケースのなかにごちゃごちゃ線が繋がってる楽器が入ってるのも、良いよね。パカっと開けると爆弾が!みたいな。
Marusan:便利ってものあるだろうけどね、機械を取り付けるのに。ただそれにアタッシュケースを使うのはいい感じだよね。
初雪:ケーブルの剥き出し感というか
Marusan:そうなんだよ、そこは粗末さっていう部分とも結びつく。粗末さの問題はLittle Snake(次回かその次あたりで扱う予定のアーティスト)の方でやりたい。
(補足:この粗末さ、粗雑さ、あるいは大雑把さの感じは、部屋/マイク/アンプ/おもちゃ/楽器/演奏機械/コンピュータ/ソフトウェアといった諸機械同士の不安定な接続/断絶に由来する、ぐらつき、揺らつきからくるのだろう。そしてまた、これが制度的な音響/コンポジションからの逸脱として働き、不気味さ、マイナーさを感じさせるのではないだろうか。だがここには繊細さ、あるいは神経質な感じというものがない。そうではなく、大胆かつ明朗に(ユーモラスに)揺らぎや転びを半ば楽しむような感覚がある。これが成立するのは機械的なリトルネロ/領土があるからではないだろうか。)
音についてももっと言いたい事はあるんだけど、楽曲分析をするわけではないからね。
初雪:まぁ前半である程度語ったからね、この章は纏め代わりだし。
Marusan:オタクであり、ギークであり、これは完全に趣味だと思うんだよね、DIYというか。
初雪:稼ぎとしてはジャズミュージシャンもしているわけで。
Marusan:すごいお金も時間もかかると思うから趣味だと思うし、力が抜けてるというかアートをやろうっていうのじゃなくて、趣味の延長線上に柔軟で面白い特異的なものが出来上がっているという、音楽的にも単なる表層的なハイブリッドではない、ただ「ジャズを機械で演奏する」とか「人力の電子音楽」じゃなくて、その間の生成変化というか、単純な模倣じゃない。(機械とコンポジションの)それぞれがそれぞれに合わせる方向にもっていっているというか。
作曲が機械的な制約に合わせている部分もあるし、最終的には機械が作曲に従う。それが完全に従属させたり模倣させたりするのではなくて、それが絡み合った地点で音楽が鳴ってるんだよね。
初雪:主体がどこかにあるってわけじゃなくて?
Marusan:そうだね、主体がそうしてトータルで浮かび上がってくるというか、それがこの「顔」なんだよね。この連結された機械から。
初雪:そうなんだよね、必ずしも人の声を模した音だけが、スクリーンに表示される顔に結び付いているわけじゃない。歌詞を作ろうとしてるわけじゃないんだよね。
Marusan:テレビ番組とかで歌手が前で歌って後ろでバンドが鳴らしてるのって、むしろ主体性は(必ずしも)感じられないと思うんだよね。形式化されて、歌手も偶然的、確率的にメインの位置にいる、仕立て上げられている、という。
初雪:それは難しくない?
Marusan:別に歌手でなくてもよくて、ジャズバンドなんかもすごい並列化されてフラットになってるんだよね。個別のものが並列に纏め上げられてるだけみたいな。
だけどLarsはなんか機械同士も人間も並びあってその(直列的な?)流れの中で纏まりが主体感として生まれてるんだよね。
初雪:それはやっぱり人と人同士の象徴的なものでは生まれなくて、さらにこの「顔」が主体の形成に役立っているという。
Marusan:そこはすごい印象的だと思う。ただ音楽にLive2Dの顔を付けただけじゃこんなドキドキするものは生まれないと思う。この剝き出しの機械と、時々登場するLars本人と、作曲上の複雑性と粗雑さと、そういうものが合わさってこの「顔」が浮かび上がってくるんだよね。だからこれすごい生きているように感じると思うんだよね。
単純に強い。演奏技術や音楽の知識、作曲力という意味で、音楽家としてもそうだし、この機械とかもそんな普通の人には作れないと思うんだよね。そういう、誰にでもできるわけではないことをでき、しかもそれらをうまく組み合わられるという意味で「強い」。
それでいて、音楽的知識や能力、あるいは技術力のひけらかし、見せつけみたいにはなっていない。
強い+力が入っていない=最強みたいな。
技術と音楽だよ、これはすごい大きなテーマだと思う。僕が君に紹介した音楽はすべてこれに関わってくると思う。
編集後記
Studio Marusan.
ーーLars論、あるいは音楽/機械/環境論へ向けて
以前からこうして音楽について語ってみたい、考えてみたい、とは思っていたものの、語るべきことの多さ、分からないことの多さ、そして音楽を批評することの難しさ、といったものを前に逡巡していましたが、今回友人の初雪緑茶が思いつきで提案してくれたこの企画をやってみて、自分が何を語りたいのかということや、あるいは具体的にLarsに関する文章を書くのなら言及したいことに関して洞察が得られたり、また語りのスタイルの問題にも改めて気付かされました。
音楽一般に関して言うなら、この対談で繰り返し出てくるように、音楽と機械の関係、ということが現代において、いやもしかすると音楽の誕生から今に至るまで、重要になってくるのではないか、と私は最近思っています。とはいっても、「機械」という言葉は曖昧ですし、この概念を意識する大きなきっかけになったドゥルーズやガタリの哲学を私が十全に理解できているとは到底思いませんし、またこの言葉を使うことによって何を指し示そうとしているのかーーそれは「もの」すなわち非人間的なものの別称だろうか、それは技術一般のことなのか、それは現代の「テクノロジー」、特に情報技術とはどう関わるのか、あるいは「機械」と「装置」の区別、生命は機械だろうか(という伝統的な機械論の問題圏)などなどーー私自身考えきれていないところが多分にあります。
Larsに関して言うなら、この対談では主にLarsの特異性に焦点を当てて話をしてきたわけですが、実際には、もちろんLarsと近い試みは過去にもたくさんあります。例えば、ミュージック・コンクレートやLuigi Russoloの「騒音芸術」、あるいはConlon Nancarrowの自動演奏ピアノ曲やSteve Reichのミニマル・ミュージック(特に"Pendulum Music")(Steve Reichの音楽、あるいはその録音は、「機械のように演奏すること」やそこに立ち昇る物質性などについても示唆を与えてくれます)、そしてJohn Cageの革新的な諸作品(ある楽器の「楽器性」は、むしろ演奏が「失敗」した時に際立つのだ、という逆説を考えるのなら、Cageにはじまるプリペアド・ピアノの試みと、Larsにおける「機械による演奏」には近いものがあるのではないでしょうか。「機械的な演奏」という失敗...)、といったクラシカルな領域における試みとも関わりがあると思いますし、あるいはジャズの領域ではかの有名なPat Methenyが自動演奏楽器「オーケストリオン」でアルバムを制作していますし、Larsが影響を受けているSquarepusherはZIMAとのコラボで、楽器を演奏するロボットによるアルバム『Music For Robots』を制作していますし(そもそもSquarepusherはジャズとエレクトロニックの狭間の冒険のパイオニアでもあるでしょう)、同じくLarsに影響を与えたAphex Twinも『Computer Controlled Acoustic Instruments, Pt.2』という興味深いアルバムを制作しています。あるいはMoritz Simon Geistというアーティストはロボットによる生演奏テクノをやっているようですし、私が最近知ったCraig Scott's Lobotomyというアーティストも似たような試みをしていて興味深いです。他には、エレクトロニックな領域における物質性という意味では、Myriam BleauやNicolas Bernierの実践にも通ずるところがあります(ele-kingのこの記事が参考になります)し、あるいは(前半で物理モデリングに少し言及しましたが、)Motion GraphicsやVisible Cloaksの音楽も、Larsとは別の形で、音楽/機械/環境に関する示唆を与えてくれそうだと思っています。また、Wintergatanの「Marble Machine」とはDIYという文脈でもつながるところがありますし、ジャズピアニストのDan Tepferは、彼の生演奏から、アルゴリズムを使って即座に対旋律を生成し演奏する自動演奏ピアノを使った興味深い試みをしていたりします。自動演奏ピアノといえば、現代の音楽を語る上で外すことはできない、そしてまた機械/技術との関わりも深いアーティストJacob Collierが自動演奏ピアノと共演したMichael Jacksonの"Don't Stop 'Til You Get Enough"の演奏動画も記憶に新しいです(彼の芳醇なコンポジションは彼の演奏力や知識だけではなく、コンピュータとの共同によって可能になるものでしょう。また彼のパフォーマンスにおいても、「ハーモナイザー」のような機械や、それと接続された映像は重要な役割を果たしています)。サーキット・ベンディングの文脈、という意味では、チップチューンとの繋がりも考えてみたいところですし、あるいはClown Coreの奇天烈なコンポジション/演奏や、Jacob Mann(あるいはJacob Mann Big Band)のMIDI的なコンポジション/演奏とも、様々な側面において接続ができるでしょう。
このように、Larsの作品は、決して独立したガラパゴス的なものではなく、様々な系譜上に位置付けて考えることができ、またそうすることによって、むしろLarsの特異性がさらに明確に浮かび上がってくるように思われるのですが、それについてはまた別の機会にーーアカデミックな文章として、あるいはnoteなどにおける軽めの連載的なエッセイなどとしてーー書ければいいな、と思っています。
とはいっても、私はLarsや、これからこの対談などを通して紹介するかもしれないアーティストの特異性を無批判に称揚したいわけではなく、むしろ、あるアーティスト(の特異性)について様々に考えた結果、音楽一般、あるいは芸術一般に関わるような概念に収束していく、ということはあり得ますし、むしろ、個々の作品やアーティストを規定する環境/アーキテクチャを抜きにしてそれらについて語ることが困難な(あまりにもナイーブになってしまう)今日において重要なのは、それらについて語るための、音楽(芸術)に関する用語(音楽の場合、例えば「リズム」や「音色」、「楽器」など)を新たに概念化し直したり、必要ならば新たな概念を創ったりすることではないか、と私は考えます。
このような私の思惑・企図が、どれほど今回の対談で表れているか(そもそもこの考え方は対談によって明確になったのですが)、また初雪緑茶を含めて読者にどれほど伝わるかは分かりませんが、だからこそ、こうして書き残しておきたいと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
初雪緑茶 Vtuber-人工身体と企画者として
音楽的な側面に関してはMarusanがしっかり書いてくれたので、私はこの記事から発展できる観点を一つと、企画者としてのコメントを少々。
音楽には疎い自分が個人的にこの対談から発展させるとすると、それはVtuberとの接続だろう。というよりはVtuber に代表される人工身体という方が正確か。Live2Dなどの技術的共通点以上にLucyやLunaが既存の人工身体とは全く異質な身体性を獲得していることは、ここまで記事を読んでくださった方にはお分かりの事だろう。確かに「顔」は強烈だ。LucyもLunaもまずもって顔が可愛いし、画面越しに視線をおくってくれることはVtuber と共通する魅力だろう。だが、彼らの腕は玩具のアームであり、彼らの胴体は改造されたキーボードであり、ただのタンバリンだ。彼らの身体は物理的に接続された単なる機械ではない。そこには明確な境界のない音楽から浮かび上がることでしか生成されない身体がある。二人以上が共演したとき、彼らの声=音楽は混ざり合い、素人の耳では区別することができないにもかかわらず、別個の「顔」をもった複数の身体イメージが表出する。そこにあるのは人間が人間に、動物に、植物に感じる他者とは全く異なった、「機械」的な他者である。
私は「にじさんじ」や「ホロライブ」に代表されるようなVtuber を、往年のブログや生配信文化の「現実」の人間を提供するエンタメ性と、昔から存在するアイドル産業の商業構造と、ボーカロイドやアバター文化などが準備した人工身体の技術が融合し、形成した文化産業であると考えている。これらの三要素はかなりの部分が個別に機能しているものであると思うし、これまで述べた通りLars, Lucy & 8Legionsの「機械」たちはその人工身体の側面で唯一無二の面白さとフェティッシュな魅力を兼ね備えた存在であると言えるだろう。
以下、企画者としての編集後記です。思い付きでやってみたものですが、内容自体はかなり面白く、未だかつて語られたことのないものになったのではないでしょうか?とはいえ記事のクオリティとしても、マイナーなものについて語るという企画の性質自体からも、多くの人に届けることは非常に困難でしょう。しかし、この先Lars, Lucy & 8Legionsというアーティストについて知りたいという方が検索し、この記事に辿り着くこともまた私の企図したことでもあります。不特定多数の未来に向けての遺言である以上、それは語りという形でやりたかったですし、結果読みやすさ、取っつきやすさもあるものに仕上がったと思います。
引き続き、音楽アーティストについて語っていくかは定かでないのですが、この企画自体は続いていきます。個別のものについての語りを連ねることで、より普遍的な主題を画定していくことが達成できれば、これ以上のことはありません。ですので、この記事に興味を持っていただいた方は引き続き追っていただけると嬉しいです。
複数人での企画は文字起こしやそれぞれの表現校正などで時間がかかるため、月一程度の更新になると思いますが、毎回の分量とクオリティはこのぐらいを維持したいと考えています。
最後になりますが、読んでくださり本当にありがとうございました。SNSで共有やコメント(批判も含め)、いいね・フォローなどしていただければ幸いです。
文責:初雪緑茶 対談:Studio Marusan.、初雪緑茶