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無題(フリーセルの魅力を語る)

本日も消化試合に近い仕事が終わり、18時前に帰宅したのに、気が付けば21時半である。何をしていたのか。ずっとパソコンの前に座っていた。何をしていたのか。ずっとフリーセルをしていた。フリーセルは良いゲームである。だから今日はフリーセルの魅力について語ろうと思う。


世界中でフリーセルを知らない人はいるのだろうか、というほどフリーセルのことを私は有名なゲームだと思っている。むしろこれは確信である。

フリーセルはトランプゲームである。画面は場と呼ばれるもので、緑一色。モフモフの芝生をイメージしてほしい。
そこにジョーカー以外の52枚のトランプがすべて「表」を向いて整列している。ここが重要である。全て表を向いている以上、運要素がないのである。
ソリティアも好きな私だが、本気でクリアしたい場合は運要素は邪魔者でしかない。フリーセルにはそれがないので、正々堂々と向き合うことが出来るのだ。(ソリティアはフリーセルに疲れてきた頃合いにやるのがオススメ)

さて、表を向いたトランプが整列しているといっても、色や数字の順番はバラバラ。だからこのトランプを整列させて、同じマークのAからKまでを順番にホームセル(私の中で神聖な場所)へと重ねていく。ルールはシンプルであるが、思考力が試されるゲームである。先も言ったように運要素は皆無なので、スタートした瞬間に全体を見て、どこのAを助けるかを見極める。そして助けにくいカードがどこにいるかを把握し(これ結構重要)、私の右手が動き出す。
これでクリア出来なければ、それは完全なる敗北である。


私とフリーセルの歴史

私は幼稚園の頃からパソコンを触っていた。2000年よりも前なので一般家庭にパソコンがあるのは珍しい時代。そんな中、パソコンが好きな父は私におもちゃ代わりにパソコンを触らせてくれていた。今思えば、未来を見据えて機会に強い優秀な子に育ってほしかったのか、はたまた家族内にパソコン仲間を作りたかったのだろうか。たまごっちやディズニーなどのパッケージ型ゲームをやっていた記憶がある。一番楽しくてやりこんでいたのはタイピングでハムスターを育てるパッケージ型のゲーム。とても地味。なんとも私らしい子供である。
それだけパソコンに馴染みのある私は、WindowsVistaがリリースされた頃(中学)から本格的に自室でパソコンをいじるようになった。マイパソコンを持った私は、ニコニコ動画を視聴した。でも手持無沙汰だ。何かしたい。ということで試行錯誤した結果、Windows標準搭載のゲームを片手間にやっていた。

全てのゲームをやり、ある程度極め、その結果私に選ばれたのは「マインスイーパ」と「フリーセル」であった。あの頃のWindowsは古き良き時代である。ウィンドウのフレームがグレーの時代だ。盤面は全てベタ塗り。ある意味目がチカチカする。…と気を緩めるとフリーセルの魅力を語り始めるので、さっさと次で語る。

フリーセルの魅力

まずWindows標準搭載の無料ゲームであること。
Windows7くらいまでは完全無料の単体ゲームだったが、今は「Microsoft Solitaire Casual Games」という色んなゲームが終結された中に入っている。
Win8が出た頃、私はそのUIの変わり様にWindowsPC自体に拒絶反応が出てしまい、大学時代はマイパソコンを持たず、サポート切れのWindows7でゲームをしていた。そして社会人になり、Win10を使うことを余儀なくされ、訓練を行い、今は晴れてWindows11を使っている。
そして気づいたらマインスイーパは標準搭載から降格しており、懐かしのピンボールはどこか消えていた。
今のフリーセルは私のやりこんでいた時代とは違って広告が出るようになっているのでそこが少々不満だが、無料でプレイさせていただけていること、動画を見ていてもミキサーで消音にすればいいことを踏まえれば十分である。

いや、魅力を語るはずが今の不満に繋がってしまった。いやねぇ。
1番の魅力はクリア時の賞賛である。
ホームセルに全てまとめると、トランプが嬉しそうに溢れて出てくるのである。
この素晴らしさは私の語彙力では完全表現出来ないので、ぜひプレイして味わってほしい。
「お前たち、よかったな泣」といった達成感で涙が止まらない。ただ何回もやっているうちに義務感になって、その演出はスキップするようになる。
スキップしたときの自分の玄人感に浸っているのだろう。

進化した結果、失われたもの

昔のフリーセルは勝敗記録が残るようになっていた。
100回勝っても、1度負ければ1敗の記録が残る。そして元に戻すは1度しか使えない。
この「連勝に傷がつくかもしれない...!」という緊張感の中、難しい盤面に立ち向かうあの空気感が好きだった。

しかし今のフリーセルは敗戦の記録が残らない。やり経験値を積む形になっており、やった分、クリアした分だけ自分のレベルが上がっていく。褒めて伸ばすタイプだ。
加えて元に戻すが無限だ。全て戻すなんて機能もある。なんだこれは。全くもって遺憾であるが、めちゃくちゃ使わせていただいている。

あれだけ緊迫した中で、我の能力を上げるために戦っていたフリーセルだが、今では本当のゲームになってしまった。少し寂しい気もするが、易しくなった分、気軽に出来るし、良い息抜きになっているような気もする。


フリーセルの魅力について語ったが、その中で少しセンチメンタルになってしまった。
自分の好きだったものが変わったこと。
時代とともに進化したこと。私が好きだと思っていた部分がなくなってしまったこと。

しかし根本的な部分は変わっていない。そうだ、そう思うことにしよう。

でもなぜだろうか。
好きなアーティストが有名になるにつれて、歌い方や曲調が変わり、昔の尖っていた頃から丸くなったところを見て、取り残されたような寂しさ。
ゲームにも感じてしまうんだな。

意外にこの寂しさはきついものがある。
なぜなら人が変わるのは、理解出来るようになった。
しかし、ゲームですら変わり得るのか...世の中は。

変わらないものはない、と分かりつつも
変わってほしくない、という思いはあるのだなあ。

ああ、Windows7触りたい。
アリーヴェデルチ。

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