43. 春の川地と空と海めぐりゆく
「水に流す」というのは日本の文化だという。過去のことは忘れて、関係を新たにするような時に使われる。禊という言葉もある。ヨーロッパに比べて日本の川の流れが急だから生まれたという説もあるらしい。
43.春の川地と空と海めぐりゆく
一般社団法人国土技術研究センターのホームページには、日本で一番長い信濃川は標高2,200メートルの高さから367キロメートルを経て日本海に注ぐのに対し、フランスで一番長いロワール川は、標高1,400メートルの高さから1,006キロメートルを経てビスケー湾に注いでいるとして、ヨーロッパの川の全長は長く、勾配が緩やかなので上流で降った雨もゆっくり流れると述べられている。日本の国土は狭く山が多いから、砂防や治水の技術がことさら重要だということをあらためて知ることができる。明治時代にオランダから来た土木技師デ・レイケが、日本の川を見て「これは川ではない滝である」と言ったと伝わっているのだが、上林好之の『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』を見ると、それは日本側の誤解に基づく解釈だったらしい。とはいえ、川の流速や運ぶ土砂の量、洪水のありようは海外とは異なっているのは確かである。デ・レイケは海面より低い国の土木技師として、水理学の技術を使って大阪港と安治川、淀川、さらに三国港や木曽川など日本の河川や港湾の近代化に大きく貢献した。
「デ・レイケはそんな荒れ野の日本に三十年間も住み、砂防という技術ではげ山を緑豊かな山々に変えた。水理学という技術を応用して、はげ山から流れていた多量の土砂を洪水のもつ自然の力によって海の深いところにまで押し流した。それに加えてオランダの粗朶工法を用いて、流れのゆるやかな、蛇行した低水路をつくって船が通航できるようにした。その粗朶でつくられた水制のあたりは「ワンド」と呼ばれる清らかな静水域となって、多くの魚介類が生息するようになった。川は甦ったのである。」
と、上林は書いている。デ・レイケは、環境を守るという感覚を持って、水の流れに技術と自然のバランスを取り込んだ人なのである。1873年(明治6年)から1903年(明治36年)まで日本にいたデ・レイケには、1880年(明治13年)頃の渡良瀬川での鮎の大量死のニュースも耳に入ったのではないだろうか。その後、足尾銅山の鉱毒ガスや酸性雨による禿山、洪水、稲の立ち枯れなどの被害が出て、日本近代化による公害が初めて目に見える形となったのである。日本は富国強兵、殖産興業に躍起になって、ロシアとの戦争に向けた準備を進めていた時代である。その日本に雇われていたデ・レイケと足尾銅山を結びつける資料は見当たらないというが、技術者としてデ・レイケは心を痛めたに違いない。さらに時を経て、昭和の高度経済成長期になると多様な公害が広がり、日本はさらに川や海を汚してそのバランスを崩していった。言い換えれば、私たちは見かけの生活を豊かにするために自然との折り合いを自ら放棄していたのである。1962年(昭和32年)にレイチェル・カーソンが『Silent Spring』を出版した。2年後の1964年に日本では『生と死の妙薬-自然均衡の破壊者』の邦題で出版され、後に文庫本として、原題通り『沈黙の春』という邦題で出版された。この頃から、今でいう「環境」という言葉が世に出てきた。豊かさの概念が少しずつ変わっていったのである。
水は川から海へ、そして大気へ、地下へと循環している。水を汚すことは地球を汚すことである。唐戸俊一郎の『地球はなぜ「水の惑星」なのか』は、地球の成り立ちと水との関わりを分かりやすく教えてくれる。それでも「高校生程度の知識をもち科学に興味のある人」を対象としていると書かれているから、科学に興味はあるが高校生程度の知識は忘却の彼方である私は、やや対象から外れる読者といえる。まえがきには、
「地球はよく『水の惑星』と呼ばれます。それは地球の大部分が海でおおわれているからです。海水の量は質量にして、地球全体の約〇・〇二三%にすぎません。しかし、少量ですが、この水が地球をユニークな惑星にしているらしいと考えられています。」
とあって、対象外の読者にとっても十分興味をそそられる前振りである。太陽に近い地球には原則的には水がほとんどないはずなのだが、実際には海がある。その理由について2つの仮説が示されているものの、約0.023%の水が一体どこから来たのか、はっきりとわからないらしい。特に面白いのは海水量の増減の話である。プレートテクニクスの地殻への潜り込みと合わせて、海水も地殻へ潜り込み、マントルの噴出に伴って地表面や海底へ戻って循環しているというのである。もちろん、地殻内では水は水素に形を変えて循環するのであるが、この循環量のバランスによって海水は長い年月の間に増減する。仮説の立て方によって数億年で海水がなくなることもあるし、陸が水没するというようなことも想定されるという。いずれにしろ水は地球の内部も含めて大循環をしているのである。水の大循環は、人類だけでなく地球にとっても重要な現象なのだとわかる。
さて、人類が今までやってきた自然との不都合な折り合いを、地球は水に流してくれるのだろうか。
●一般社団法人国土技術研究センター https://www.jice.or.jp
●『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』 上林好之 草思社 1999年
●『沈黙の春』 レイチェル・カーソン 訳:青樹惣一 新潮社 1974年
●『地球はなぜ「水の惑星」なのか』 唐戸俊一郎 講談社 2017年