37. 伊勢路きて斎宮のためいき菊の露
在原業平の和歌で他に覚えているのは、中学生の頃に習った『伊勢物語』第九段に出てくる有名なカキツバタの歌である。「からころも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と、五七五七七の五句の頭の文字をつなげると「かきつはた(カキツバタ)」となっていて、えらく感心したのを思い出す。
37.伊勢路きて斎宮のためいき菊の露
折句というのだそうである。さらに複雑になると頭の五文字と終わりの五文字をつなげて別の言葉を織り込む沓冠という技巧もあるらしい。頭の五文字が「冠」、終わりの五文字が「沓」なのだろう。趣を増して歌を読むという何とも優雅な言葉の遊びである。『伊勢物語』は『源氏物語』『古今和歌集』と並んで同時期の三代文学とも言われ、その文学的価値は高く評価されているのだが、作者や成立年代は不明である。在原業平らしき男を主人公として、恋愛を中心としたさまざまな人間関係を描いた歌物語で、能や人形浄瑠璃、歌舞伎の題材としても取り上げられている。興味深い話は「むかし、男、女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。」で始まる第二十一段である。些細なことで女が家を出る。女は歌を残す。男は不信を買うような覚えも無い。涙を流してあらこちら探したけれどわからない。男も歌を読む。だいぶ経ってから、女が侘しさに耐えかねたのか、忘れないでほしいという歌を書いて寄こす。これをきっかけにしてさらに熱烈な歌のやりとりが始まる。ところが、それぞれが別の人と暮らすようになって、疎遠になってしまった。という話なのである。お互いに思いあって一緒に暮らし、些細なことで女が出ていく。男は泣いて未練を見せて、女も冷静になってみると未練が湧き出す。でも、それぞれ違う相手と生活を始めてお互いに歌を交わしていると、現実が過去を上書きしてしまう。男女の中はそんなものなのかと思いながらも、なぜか切なくなる話である。立川志の輔の落語「ハンドタオル」のマクラを思い出した。ある結婚式で新郎側の主賓が「変えてみても同じでした。これからの生活で山や谷はあると思いますが、そんな時は私の話を思い出して末長くお幸せに。」と挨拶した。この主賓は三ヶ月前に再婚したばかりで「変えてみても同じでした。」と自らの経験を語ったのである。結婚式の挨拶としてはふさわしくないような話で、最初は笑うに笑えない空気だったが最後は大笑いに変わったそうである。この主賓が、男性なのか女性なのかは明らかにされなかったが、伊勢物語の話からすれば性別は関係なさそうである。面白いと言うのか、悲しいと言うのか定かでないが、幸いなことに私にはこのような経験はない。
伊勢物語という題名のもとになっているのではないかと言われているのが、第六十九段である。ここでは、男はこともあろうに伊勢神宮の斎宮とねんごろになってしまう。斎宮というのは、天皇家の皇女で天皇に代わって伊勢神宮に仕える女性のことである。神に仕えるやんごとなき人である。そのような女性をも歌で夢中にさせるのである。今で言えばメールで愛の言葉をこまめに送るように、和歌で愛の言葉を送るのである。男の出自から行けば、高貴な女性との付き合い方は心得ていたのだろう。いかに洗練された言葉で歌を読むか、どんのような体裁のものに書いて送るか、どのような形で渡すかにセンスが求められたようで、「男」はそれらに長けていてやんごとなき女性の心を掴んだのである。伊勢神宮の近く斎宮歴史博物館で、二年ほど前に「NARIHIRA―いにしへの雅び男ものがたり」という展覧会があった。説明パネルには、
「在原業平は、平城天皇を父方の祖父に、桓武天皇を母方の祖父に持つ高貴な血筋で、美しい風貌で情熱にあふれ、自由奔放な人間性を持ち、その歌は『こころあまりてことばたらず(歌に込めた情熱が多すぎて表現が追い付いていない)』と評されました。」
とあって、想いの強さが先走りする性格だったようである。神の世界に生き、俗の世界とは縁を切った斎宮にも、そのような態度を示したのであろう。
そんな男の、死を目前にした最後の第百二十五段も興味深い。わずか二行である。
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべく覚えければ、「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」
となって、あっさりと男は亡くなるのである。これまでの人生を振り返るでもなく、これが死ぬことなのか、今日なのかと多少驚いてはいるが、淡々とした言葉の並びである。悟りというような高尚なものでなく、粋な人生を過ごした男の姿が白地に静かに滲み出ていて、こんな気持ちでシンプルに死が迎えられれば理想的だと思う。
天皇の孫でありながら政治的争いに敗れ、当たり前の如く和歌と女性に目を向ける人生を過ごした在原業平。『伊勢物語』は洗練された和歌と簡潔な詞書で、読む人が読めばファクトと繋がっていくという新しい形の文学の原点になった。業平の人生がかなりの部分を占めているのだが、多くの人が手を入れて作り上げたということだから、時代のクリエーターたちがコラボレーションして作った文学作品ということになる。平安時代の美しい言葉に包まれたお洒落な恋話集ではあるが、貴族の間ではきっと評判になったに違いない。今も昔も、この手の話は流行るのである。
●『新版 伊勢物語』 訳注:石田穣二 KADOKAWA 2022年(初版は1979年)
●「NARIHIRA―いにしへの雅び男ものがたり」 斎宮歴史博物館 2022年10月1日〜11月20日