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38. 業平を摺り込み嬉し白きシャツ

業平のカキツバタは、多くのクリエイターの心を刺激した。能ができ俳句が詠まれ、絵にもなった。学者にも影響を与えた。彼の31文字は凄まじい威力を発揮したのである。

38.業平を刷り込み嬉し白きシャツ

 『伊勢物語』の第九段をもとにして、室町時代には三河八橋を舞台に能「杜若」が作られ、江戸時代には松尾芭蕉も三河八橋近くで「かきつばた我に発句の思ひあり」とカキツバタを読んで『伊勢物語』に心を寄せている。慶長の時代の写本『伊勢物語』第九段には、カキツバタが咲く池に八橋が渡り、岸辺で3人の男性が座して食事をしながら歌を聞いているような挿絵もある。尾形光琳はさらに凝縮して「燕子花図」を屏風絵にした。人物や他の景などは一切描かずにかきつばただけを描いて『伊勢物語』第九段を想像させるいわゆる留守模様の絵である。金地に負けないようにカキツバタの葉も花も力強く表現されている。三河八橋が歌枕となって能が出来、芭蕉は俳句を作り、光琳は絵を描いたのである。幕末に作られた難波百景という浮世絵には「うらえ杜若」があり、大阪は福島にある浦江がカキツバタの名所だったことがわかる。カキツバタと燕を前面に大きく描いているのはカキツバタの花が「燕子花」と言われることがあるところから並べて描いたのであり、作者芳雪の遊び心なのだろう。背景は浦江の水辺で花を盛りのカキツバタの群生を見ながら宴に供している人たちという図柄である。ここ浦江でも、芭蕉は「かきつばた語るも旅の一つかな」と読み、カキツバタと旅を並べて伊勢物語を思っている。和菓子にも「杜若」があるし、三河八橋の地と推定される知立市と隣接の刈谷市、そして愛知県の花もカキツバタなのである。あるホテルのロビーに光琳の「燕子花図」の写しが壁装として使われていたことがあったが、輝く金地に緑の葉、高貴な紫の花弁がとても華やかな雰囲気を作っていた。『伊勢物語』第九段は、今でもいろいろなところで目にするのだから、長きにわたる経済効果は計り知れない。

   ところで、世界的植物学者である牧野富太郎の「カキツバタ一家言」が面白い。

「葉中に緑茎を抽いて直立し一、二葉を互生し、茎頂に二鞘苞ありて苞中に三花を有し、毎日一花ずつ開く。花は美麗な紫色で外側の大きな三片は萼で、それが花弁状を呈し、その間に上に立っている狭い三片が真正の花弁である。」

 とあって、つい花弁だと思ってしまう外側の大きな3片は萼ということに驚いてしまう。さらに驚くべきことは、「カキツバタ」という名称の漢字表記である。「燕子花」も「杜若」も間違っているというのである。古書を紐解き貝原益軒、稲生若水、小野蘭山、岩崎灌園、後藤棃春、畔田翠山らの著作の分析から「杜若」も「燕子花」も、別の花だと断定している。そして次のように書いている。

 「私は寡聞にしてまだカキツバタの正しい漢名を知らない。カキツバタは北支那にもあるからきっと何かその名がなくては叶わないが、今はそれが判らない。しかし待っていれば早晩明らかになる時期がいたるであろう。(中略)こんなわけであるから古典学者などは別として普通一般の人々は、植物の名はいっさい仮名で書けばそれで良いのである。何も日本の花を呼ぶのにわざわざ他国の文字をかり用いる必要は決してないと私は深く信じている。そしてこれは明治二十年以来の私の主張である。」

 と、意気軒昂である。また、同書には、牧野博士が植物実施指導のために、昭和8年6月に広島文理科大学植物学教室の職員や学生と安芸の国山県郡八幡村の野生のカキツバタを見に行ったことが書かれている。花を盛りのカキツバタの群生を見て、

  「わが邦上古にその花を衣にすったということを思い浮かべたので、そこで早速にその花葩はなびらを摘み取り、試みに白のハンケチにすりつけてみたところ少しも濃淡なく一様に藤色に染んだので、さらに興に乗じて着ていた白ワイシャツの胸の辺へもしきりと花をすり付けて染め、しみじみと昔の気分に浸って喜んでみた。」

 と書いていて、お祭りにでも行ったように笑顔ではしゃぐ姿が浮かぶようである。後で奥さんに怒られたのではないだろうか。要らぬ心配はさておき、牧野博士はさらに興に乗ってここで俳句七句を読んだのである。

 衣に摺し昔の里かかきつばた

 ハンケチに摺って見せけりかきつばた

 白シャツに摺り付けてみるかきつばた

 この里に業平来れば此処も歌

 見劣りのしぬる光琳屏風かな

 見るほどに何となつかしかきつばた

 去ぬは憂し散るを見果てむかきつばた

 拙い幼稚な句で背中に冷や汗が滲んだと書いているが、学問的興味だけでなく、牧野博士の内なる句心さえも刺激して業平や光琳に思いを馳せさせたカキツバタの力はやはり大したものである。

 ちなみに本文では牧野博士に賛同して固有名詞以外では「カキツバタ」と仮名表記しているのだが、カキツバタ、カキツバタと書いていたらカキのバター焼きを思い出して食べたくなってきた。牧野博士と比べると発想が格段に低いレベルで恥ずかしい限りである。俳句を読んだ牧野博士ではないけれど、背中に冷や汗が滲んでくる。

●「カキツバタ一家言」・・・『花の随筆集6 六月の花』 牧野富太郎 作品社 1999年に掲載

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