39. 森の鉄ながれゆくさき牡蠣の海
カキツバタは食べられないが、牡蠣バターは食べられる。昨年の夏から秋のことを思い出しながら書いてみた。今年も然るべき時期に牡蠣を食べたいものである。
39.森の鉄ながれゆくさき牡蠣の海
なんと言っても牡蠣のバター焼きは美味しい。バターでソテーするとはいえ、牡蠣は新鮮でなければならないのは当然である。食べるにはまだ少し季節が早いので、平松洋子の『かきバターを神田で』を読んで我慢をした。表紙には、キャベツの千切りとパセリも添えられて照りのいい牡蠣バター焼き4個が皿に乗り、さらに1個は箸で捕らえられ、まさにこれから口に運ばれようかという、下田昌克の愛らしい絵が書いてある。
「神田須田町のすばらしき定食屋『とんかつ万平』、冬の名物『カキバター定食』。開店時間の夕方五時半ちょうど、店の前を通り掛かる幸運に恵まれ、迷わず暖簾をくぐった。いつも行列ができているので、私にとってこのひと皿は名のみ高い存在だった。白い皿に整列する熱いバター醤油にまみれた立派なかき六個、清らかなせん切りキャベツ、黄色い辛子、あの光景を思い浮かべただけで、辛抱たまらん気持ちになる。」
と、そそるカキ振りである。我慢するつもりが我慢できなくなって、行ってみたいと思ったのだが残念ながら2020年の年末に閉店をしていた。人様からいろいろ評判を聞くと、『かつれつ四谷たけだ』か人形町の『小春軒』あたりがいいらしい。ただ、秋まで待たねばならない。
気仙沼で牡蠣養殖を行なっている漁師畠山重篤が三十年前に『森は海の恋人』を書いている。結構有名な本である。要所要所にひねりの効いた和歌を織り込みながら、牡蠣はもちろん海の生物が健やかに育つためには森が大切だと訴えている。森にある土や岩石の中の鉄分が雨によって海に運ばれるのだが、これだけでは粒子が大き過ぎて植物に吸収されにくい。北海道大学の先生から
「木の葉が落ち、堆積して腐食が進むと、その分解過程でフルボ酸という物質ができ、これが鉄イオンと結びついた時、フルボ酸鉄というものになる。この形になると植物が直接吸収でき、沿岸の植物プランクトンや海藻の生育に重要な働きをするというのであった。」
と教えてもらい、
「そういわれてみれば、気仙沼湾でも昔から雪代水といって、春先、雪解け水が下がってくると、牡蠣や帆立貝も急に花が咲いたように伸び出すのも、そんな科学的背景があるのかもしれない」
と実感している。そして、気仙沼の海に流れ込む大川の上流の室根の山に広葉樹を植林する活動を行うのである。最初は漁師がなんで植林をと訝しがられたようだが、多くの人たちに理解が進み今では大きな運動になっているという。SDGsなどと叫ばれる前から実践している日本人がいるのである。広葉樹が育つ森から流れる川が、牡蠣や帆立貝などの生き物に豊かな植物プランクトンを与えてくれる。海にとって森は大切なのだという思いが、本のタイトル『森は海の恋人』になっている。自然が本来持っているサプライチェーンなのである。昔、父が良く歌っていた宮城の民謡に『大漁唄い込み』というのがあるのだが、その2番には、
「前は海 サーヨー 後は山で 小松原トーエ アレワサーエトソーリャ 大漁ダーエ」という歌詞がある。やはり海と山はパッケージで密接に結びついているのである。山の森にある広葉樹と綺麗な川のおかげで、海の美味しい牡蠣のバター焼きが食べられる。
『森は海の恋人』を読んでいろいろ考え、なんだかんだしているいうちに10月になった。まずは四谷へ。お昼をだいぶ過ぎた2時ごろだった。店の外には牡蠣の文字のある黒板とともに二人のサラリーマンが立って居た。私と同じ牡蠣狙いだろうか。10分くらいで店の中に入った。カウンターの端に座りメニューを見た。季節限定という文字の下に牡蠣のメニューが並んでいた。カキフライ定食の少し下になぜか白い紙が貼ってあって、その紙の下に隠れてカキバター焼き定食と書いてあるのがうっすらと透けて見えた。入学試験の合格発表を見に行って、合格者の名前の中に手違いで書かれてしまった自分の名前。訂正の白い紙が貼ってあるのを見つけたような失望と落胆が私を襲った。それでも冷静を装ってカキフライ定食を注文した。まずご飯と味噌汁が並び、しばらくしてカキフライが出てきた。大きな牡蠣が6個並んでいた。いかにもカラッと上がっているのがわかった。熱いカキフライにタルタルソースをたっぷりつけた。1つ食べると海の香りが口から鼻に抜け、2つ食べると海の風景が見え、3つ食べると海の中に居た。4つ目、5つ目を食べると牡蠣の声が聞こえ、最後の1個を口にすると私が牡蠣を食べているのか、牡蠣が私を食べているのか判然としなくなってきた。素敵な牡蠣だった。ご飯もキャベツの千切りもマッシュポテトも皿から消えていた。味噌汁も無くなっていた。牡蠣の残香を心に抱きながらレジで「バター焼きはいつから。」とさりげなく聞くと、女の子が「もう少し小ぶりになってからだから、11月かな。」と言った。しばらくしてから人形町へ行って、ようやく牡蠣バター焼きに巡り逢えた。少し焦げたような香ばしい空気が鼻に届き、しっかりとした身が口の中で徐々にほぐれていった。黒い縁取りのあるビラビラの歯ごたえも良かった。今年初めての牡蠣バター焼き。「うちは三陸の牡蠣。カキフライより、軽い感じで食べやすいよね。」店の女性が言っていた通りである。
●『かきバターを神田で』 平松洋子 文藝春秋 2019年
●『森は海の恋人』 畠山重篤 北斗出版 1994年