32. 「気をつけ!」大手まんぢゅうに除夜の鐘
内田百閒の生き方は、極楽的達観とでも言うのだろうか。著作を読んでいて飽きない。そんな生き方は、羨ましい限りである。
32.「気をつけ!」大手まんぢゅうに除夜の鐘
内田百閒は、故郷岡山の大手まんぢゅうが大好物だった。いわゆる薄皮饅頭である。薄皮には甘酒が入っているので、ほんのり甘酒の香りがする。岡山城大手門近くの伊部屋という老舗で売られていて、その店構えは今でも古色蒼然としていて重みがある。大手まんぢゅうは岡山の人の自慢である。『御馳走帖』のなかで百閒は「餓鬼道肴蔬目録」と題して、
「昭和十九年ノ夏初メ段段食ベルモノガ無クナッタノデセメテ記憶ノ中カラウマイ物食ベタイ物ノ名前ダケデモ探シ出シテ見ヨウト思ヒツイテコノ目録ヲ作ツタ 昭和十九年六月一日昼日本郵船ノ自室ニテ記」
として沢山の食べ物をあげている。戦時中のことで食糧事情が逼迫してなかなか美味しいものが食べられなかったときである。せめて、記憶を呼び起こして目録に記して頭の食欲を満たそうとしたのであろうが、おそらく胃袋の食欲も刺激してしまったのは間違いない。そのなかに和菓子が5つあって大手まんぢゅうがその一角を占めている。同じく『御馳走帖』の「序に代へて」には、昭20年の7月13日から8月4日までの日記が抜粋されている。終戦間近の7月22日の記載は、
「日曜日 朝ハ足リナイナガラ御飯ガアツタケレド昼カラハ再ビ団子計リナリ。又何日カ穀断チガ続ク事ナル可シ。」
となっている。昭和19年の夏はまだ大手まんぢゅうを思い出せたのだが、昭和20年の夏になると大手まんぢゅうどころではない。ましてやその年の6月には岡山は米軍機の空襲を受けて焼け野原になっている。米がないという状況だった。
大手まんぢゅうは、こし餡を薄皮で包んであるのだが薄皮の部分は透明になっている部分と白くなっている部分がまだらになって、独特の模様になっている。伊部屋は二百年近く続いている老舗だが、おそらく同じ模様の饅頭はなかったはずである。全てを見たわけではないから、断言はできないが自然の成り行きで白い部分の模様はできているので、断言してもまず間違いはないし、おそらく同じものがありましたと言って来る人もいないだろう。一つ一つに異なった模様がある。実際にはそんなことを真剣に考えるまもなくまんぢゅうを食べるのだが、食べる前にしっかりと見つめていると何やら訴えて来るものがある。考えてみれば二百年前に代々の備前藩主池田侯が好んで食べたものと同じものを食べているのである。恐れ多くも備前藩主池田侯が食した大手まんぢゅうなのだが、その独特のまだら模様を見ていると、私はウルトラマンに出てきたシーボーズという怪獣を思い出してしまうのである。シーボーズは、宇宙にある怪獣の墓場からたまたま日本に来てしまうのだが、街を壊すのでもなくただ怪獣墓場に帰りたがるという、少し変わった怪獣なのである。そもそもシーボーズという名前は、海の坊主というところから来ているもので大手まんぢゅうの形も似通っている。お殿様が食べていた大手まんぢゅうを怪獣に似ているなどと不埒なことを書いてしまったが、今では、15個入りや20個入りなどといって駅や街中で気軽に買える庶民のまんぢゅうなのである。いい時代に生まれたものである。
吉行淳之介は、『懐かしい人たち』のなかで、「内田百閒氏のこと」を書いている。
「高橋氏が岡山名産の大手饅頭(私も岡山出身なので、この饅頭の旨さ、とくに戦前の旨さは、よく知っている)を届けて、玄関先で帰ってきた。あとで聞くと、百閒先生は並んでいる饅頭に、「気をつけっ、休め」と、号令をかけて、その一つをパクリと食べたという。」
高橋(義孝)氏も吉行淳之介も、内田百閒が「気をつけっ、休め」と言っているのを見たわけではない。ただ、内田百閒なら、そう言っても不思議ではない雰囲気があったのだと思う。しかし、大手まんぢゅうが「気をつけっ」と言われて居住まいを正したり、「休め」と言われて足を広げて手を後ろに組んだりという姿を想像することは難しい。内田百閒の号令には、大手饅頭もさぞかし面くらったであろう。だいたい「休め」と言われて少し気を許した時に食べられるのだから、大手まんぢゅうにとってはたまったものではない。こうしてみると、吉行淳之介は内田百閒のことだけを書いたのではなく、異常な体験をした大手まんぢゅうのことも書いたのではないかと思った。「内田百閒と大手饅頭のこと」とタイトルを変えた方がいいのかもしれないが、亡くなっている吉行淳之介に伝える術はない。ちなみに私の父も岡山生まれで、大手まんぢゅうが大好きだった。いっぺんに四、五個は食べていた。もちろん私も大好きである。何よりこし餡の品が良くて口当たりがしっとりとしている。もちろん岡山の女性にも人気がある。原田マハの『でーれーガールズ』では、
「武実の夫となったひとは、一生けんめいな男だったらしい。毎週末、大手まんじゅうと小さな赤いバラの花束を持って武実のアパートにやってきて、会えなくてもドアの前に置いていった(ちなみに、武実は三度のご飯より、岡山銘菓・大手まんじゅうが好物なんだそうだ)。」
と、準主人公の武実を大手まんぢゅうが大好物という設定にしている。先日、岡山の老舗本店で15個入りを買って帰ったら、家内も結構気に入って私と2人で笑いながら食べ、あっという間になくなってしまった。朗らかな街の朗らかなまんぢゅうである。
●内田百閒『御馳走帖』 中央公論新社 2012年(初版は1979年)・・・食べ物にまつわる百閒らしさが溢れた名随筆。
●吉行淳之介『懐かしい人たち』 筑摩書房 2007年・・・多くの懐かしい人たちのちょっといい話が満載である。
●原田マハ『でーれーガールズ』 祥伝社 二〇一八年(初版は二〇一四年)・・・「でーれー」は、岡山弁で「すごい」と言う意味である。解説を書いた演出家・脚本家の源孝志は、この小説を「岡山への、なんと素晴らしきオマージュ」と表している。
●「大手まんぢゅう」の表記は、株式会社大手饅頭伊部屋の商品名に依ったが、引用文内の表記は作中の通りである。