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27. 青空に甘夏が光跳ね返す

 福岡カルメル修道院のオレンジケーキには、オレンジピールがたっぷりと入っている。このオレンジはこの修道院で栽培されているという。福岡県はオレンジの生産地として知られ、金印で有名な志賀島のふたば幼稚園では、園児たちが島に自生している甘夏を使って甘夏シロップを作っているそうだ。

27.青空に甘夏が光跳ね返す

2023年6月2日のふたば幼稚園「食育だより【2023年3号】ふたばっこもりもり通信」には、

 「志賀島には甘夏やびわなどが自生しています。旬(二月〜六月)の甘夏でシロップを作りました。本来皮ごと入れますが、甘夏は皮が苦いので果肉だけを使いました。消毒した瓶に甘夏と砂糖を交互に入れていくだけです。毎日木ベラでよーく混ぜて、十日程で泡がシュワっと出てきたら完成です。甘夏ジュースは園外活動の際の水分補給に飲んでいます。子どもたちは楽しみにしていますよ!」

 と書かれている。また、志賀島の「かつま金印工房」が手作りしている金印、ではなく甘夏ジャムも人気商品だという。かつま金印工房はJA志賀島の女性たちのグループで、甘夏の他にもあまおうとすもものジャムなども作っているそうだ。フルーツの島とも言えるのだが、それでも、志賀島というとやはり金印となる。金印公園に始まって、金印レプリカ、金印Tシャツ、金印トートバッグ、金印BIGマグネットなどのお土産品には事欠かない。さらに、志賀島で漁れるアジは金印アジというブランドになっているらしい。金印は志賀島の歴史的財産だけでなく経済的財産にもなっているのである。

 志賀島で金印が見つかったのは1784年(天明4年)である。金印は約2センチ角の小さい物であるが、学校の教科書の写真ではもっと大きく見えていた。こんな小さなものをよく見つけたものである。近くに大きな遺構もない志賀島で見つかったこと自体が不思議で「なぜ志賀島で出土したのか?」は、はっきりしていないのだそうである。金印に「漢委奴国王」と刻まれているのは、よく知られている。漢という国は、前漢と後漢に分かれているが、『後漢書』には、光武帝が57年(建武中元2年)に委奴国王に印綬を与えたと書かれているといい、これが志賀島の金印だと考えられている。後漢は220年(弥生時代)に滅んでいるのだが、この金印がどのような経路で、志賀島に渡ったのかは全く不明らしい。印刻された文字から見ると漢の属国扱いにされた委奴国王にとっては屈辱的なものと理解されるので、中国から日本に持ち帰った使者が那の津の手前の志賀島で遺棄した可能性さえもあるという。ただ、この金印は一般に考えるいわゆる印鑑ではない。陰刻されたものなのである。福岡市博物館の『FUKUOKAアジアに生きた都市と人びと』では、封泥に使われていた可能性が高いとしている。当時の木簡を収納する箱のようなものに紐をかけ、その結び目の粘土板に封印を押すためのもので、運ばれている間に勝手に開けられていないことを示すために使用されたと考えられているのだ。いわゆる印鑑としての玉璽は別にあったとも言われているが、これは見つかっていない。重さ108.729グラム、金含有率95.1%。金の価値としてはあまり大きくはない。しかし、この金印は、2000年前に漢で鋳造され海を渡って、おそらく1000年以上に渡り土に埋もれたのちに黒田藩の宝として保管され、明治になって東京帝室博物館(現在の国立博物館)に寄託、現行の文化財保護法に基づいて1954年(昭和29年)には国宝になり、1978年(昭和53年)に黒田家から福岡市に寄贈されたという経緯をたどっている。57年から1784年までの1727年間、その存在が全く不明な国宝なのである。西暦57年の時点での中国とのつながりを示す縁と1727年間の空白が国宝の意味たらしめている。しかも、日本で一番小さな国宝なのである。

 博物館のケースの中で光を浴び、美しく輝く金印を見ていて、映画『007ゴールドフィンガー』で、気の毒な死に方をしたジル・マスターソンを思い出した。ジェームズ・ボンドが気を失っている間に金色に塗られて殺された女性である。全身ゴールドになっていてキラキラしていた。日本語字幕では、ボンドが上司のMに「全身に塗ると皮膚呼吸ができません。背中の一部を残せば安全なんですが。」と説明していた。当時の私は、人間は皮膚呼吸をしているのだと納得していたが、随分後になって皮膚呼吸が人間の呼吸量全体の1%にも満たないこと知ったのである。ジルを金色に塗ったのは、悪役ゴールドフィンガーの手下のオッドジョブである。英語でodd jobは、便利屋というような意味らしい。オッドジョブも含め登場人物の名前が、なんとなくB級映画っぽいのだが、全体的にはよくできたスパイアクションで面白かった。Qが開発した小型通信機や車の秘密装置も愉快だし、最後にゴールドフィンガーの企みであるアメリカの金保管庫フォートノックスの放射能汚染を7秒前で阻止して、その表示が「007」で止まるところなども気が効いていた。金・ドル本位制の中、1960年ごろのアメリカの金の保有量は世界一と言われていて、世界の通貨はドルを媒介して金と交換できる仕組みになっていた。アメリカが保有している金塊が放射能汚染されると実質的にはアメリカの金が消滅することになり世界経済に与える影響は計り知れなかった。ちなみに1オンス(28.3495グラム)は35ドル、1ドルは360円で固定されていた。ゴールドフィンガーの計画の影響ではないが、映画公開の7年後、1971年にニクソン大統領はドルの海外流出に耐えかねてドルと金の交換を停止した。ニクソンも、この映画を見ていたかもしれない。

●「食育だより【2023年3号】ふたばっこもりもり通信」2023年6月2日 手作り感満載の手書きの幼稚園だよりで、園児たちの微笑ましい活動だけでなく、果物、食べ物にまつわる行事を含めた季節の移り変わりも知らせてくれる。
●『FUKUOKAアジアに生きた都市と人びと』福岡市博物館 公式ハンドブック 2013年
●映画「007ゴールドフィンガー」1964年に公開されたスパイアクション映画(日本公開は1965年)。秘密兵器やボンドガール、世界の美しい風景など、007映画の原型と言われている。原作:イアン・フレミング、監督:ガイ・ハミルトン、主演:ショーン・コネリーのお馴染みの作品である。

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