長い夏休みの始まり
こんばんは、アレクサンドリアです。
今日はワークショップに参加するために、市内の大きな公園に行き、そこに併設されている大きな図書館に久しぶりに入りました。
図書館は自宅以外で、私の1番か、2番目にお気に入りの場所です。
あらゆるジャンルの本がどっさりある。
静かで穏やか。
快適な空気環境。
天上が高く、広々とした空間。
それぞれが思い思いの世界に浸れる、精神的自由な場所。
1時間半ほど滞在できる時間を確保し、数年ぶりに足を踏み入れました。
至る所にベンチがあり、どこに座ろうかなとウロウロしていたら、一番奥の、ガラス壁の手前に、木でできた丸い座面が3つ連なっているベンチがありました。
ここにしよう、と荷物を置き、座ります。
まずは、ここに着くまでに暑さで大量の汗をかいたので、自販機で買ったポカリスエットを一気に飲みます。
やっと落ち着いてきて、館内をぼんやり眺めると、一番手前の本棚に目がいき、そこには日本の作家の「よ~」の本が並んでいました。
よしもとばななとか、吉〇〇〇〇といった作家の名前とともに、なぜか私の記憶の画像に残っているのは「米原万里」というプレートです。
たしか、実家で昔とっていた読売新聞に米原さんのエッセイが掲載されていて、私はそれを読むのが楽しみでした。
国際色豊かな、ユーモアとウィットに富む知的な文章で、その表現力にうっとりしたような記憶があります。
米原万里さんとよしもとばななさんの名前だけが、はっきり脳裏に焼き付いているというのは、私が若い頃、好んで読んでいた作家さんだからです。記憶って、思い出って、やっぱりすごいと思いました。
そしてふと、こんなことも思いつきました。
もしかして、心置きなく迎えられる夏休みって、何十年ぶりなんじゃない?
遡っていくと、そうだなあ、そろばんを習いだした小2頃からは、何かに向かって挑戦していかなくてはならないレールに乗っていたなあ。
それは自分が心からやりたいことかどうかに関わらず、成長していくためには覚えていかなくてはならないことだと、周囲の大人から言われて、そこから夏休みも心理的に、そんなにのんびりできなかったかもしれない、と思い出しました。
そして、いや、まてよ。もしかしたら、小2どころか、それは生まれたときから始まっていたんじゃないか、という無意識からの気づきが沸き起こります。
3人姉妹の真ん中で、気づいたときには姉と妹がいて、最初から生存競争、サバイバルゲームに放り込まれていたんじゃないか、と。
だから、周囲を気にせずにのびのびといられることは、あまりなかったように思います。
なので、これはもしかして人生で初めての、のびのびできる夏休みなんじゃない?と思えました。
同時に解放感が広がってきて、〝やっと自分のやりたいように生きられる〟という、何とも言えない幸福感も湧きおこってきました。
50歳過ぎてから、このような感覚を味わうとは、若い頃には思いもよらなかったことです。
思えば、父母も年金をもらうような歳になった頃から、現役時代のピリピリ感は消え、前はここで怒るはずなのに、というところでもスルーし、穏やかになったなあと思った記憶がありますが、おそらく義務感から解放されたからでしょう。
これは、義務やルール、制限や常識といった土星意識を獲得したのち、天王星の革新的な考えに突然目覚め、土星の枠を壊して自分のオリジナリティを自由に広げていくという流れに乗ったからでしょう。
私はまだ年齢的には木星期ですが、ここ数年間でトランジットの天王星が、10ハウス仕事の部屋を通過する中で、ネイタル金星(楽しみ)や火星(行動力)を通過し、プログレス太陽(この時期の人生の目的)や月(この時期の心理的関心事)も通過したので、仕事において、天王星の革新的変化がこの年齢でやってきたといえます。
いずれにせよ、残りの人生を夏休みのように大いに楽しんで、やりたいことをやりつくした人生にしていきたいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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