【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(14)丹那の役員会議
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14 丹那の役員会議
人間の誤解は、第三者がはいりこんでこない限り、
決して重大なことではないと思う。
しかしいつかは第三者がはいりこんでくるものである。
この世ではあまりに多くの人が、他人を不和ならしめようとしている。
とりかかっていた百二十坪あまりの作業場の工事も、
トタンぶきのことではあり、漸次進捗して、荷受け体制があと幾日かで
完成に近づくことが予想される。
十月の二十四、五日のこと、突然、私が所属している
広島県藁工品統制組合から、役員会議を開催するから、
出席を頼むとの案内に接した。
場所は市内丹那潮風呂温泉旅館である。
この場所は、爆心地より東南方約五粁内外の地点にある。
仁保の山につつまれて、宇品湾に面しているため、窓ガラスやドアや天井が
吹き飛んでいる程度で、市内としては災害のすくない所であった。
己斐から直線に東南方八粁内外であるが、橋の流出や破壊などの
個所があるので、歩くと十二粁内外である。
私が出席してみると、役員が六人と、職員が六、七人くらいが
出席していた。
みな元気に溢れている。
ひさしぶりの会合に話は山ほどある。
けれどこの人たちは、食料の豊富な地域に居住しておられる関係で
あろうか、原爆体験者との比ではないようだ。
とくに復員軍人であって、福山市外地に居住されている山崎君、
三原市の本山君、この人たちは世間の事情にはうといが、
元気にみちている。
二人とも出征前は役員に選出されていた関係で、当然理事の任期が
満了していない、とのことによって、役員に復帰したのであった。
やがて会議が開かれた。
かねて役員連中によって打合せしてあったものか、会は私に対する
査問会のような形になって進行されるのであった。
色浅黒く、おも長な、丈夫な骨組をした四十歳前後の山崎氏は、
軍人らしく、
「久保さんに多額の旅費を支払ってあるが、いったいどぎゃあな考えで
何のためご旅行なり出張なさったのか?」
鼻息の荒い質問がはじめられた。
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…
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