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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(12)作業場の建設

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12 作業場の建設

  課長の懇請は引受けたとはいうものの、壊滅した現実の広島では、幾度も言うようであるが、交通も通信も何もあったものではない。
自転車さえなかなか見ることができない。
自転車がパンクしても破損しても、修理もできず、また修理するところがありもせず、それに市中は危険物が散乱して、歩くさえも危険この上もない始末である。
 (それから幾月も過ぎて、道路が整理された後でさえも、米国兵が、この広島ではどうして人間がてこてこ歩くのか、車というものは見たことがないが不思議でならない、いったいどうしたことかと尋ねたことがある。
私はそのとき、それはお前さんの国の飛行機が飛んできて、得体の知れん爆弾を落としたから、ピカードンと一発で、みなこのとおり、すべての物体がなくなった。
それに、人間も吹き飛ばされ、どこへどうなったのやら、その骨までわからん始末である、そのまわりに住んでおった人々がーーと、手を大きく輪を描いてみせて、そういう具合で車のついたものもなくなってしまったのだと、手まね口まねで話してやった。
そして、焼瓦の上に並べてあるたくさんの白骨を指さして、被爆者の人々が骨と変っておられる姿を見せてやった。
アメリカの兵士たちはただボーッとして何も言えず、ホーエと大声を出し、目を太く丸めた。)
 
 そうした時節にあって、作業場の建設からまず着手せねばならない。
それには木材の配給割当を受ける必要がある。
藤島課長にこれを申請した。
そして課長の案内で林務課へ行き、ここで県庁自体の保有割当量のうちから出す、木材割当の証明書なるものをもらった。
それも三度も交渉の果てである。
 
 割当数量は四百石。
これでまず計画の第一歩を踏み出したことにはなるが、思うようにはゆかない。
現品の獲得ができればよいがと念じながら、高須町にある広島県木材統制会社に出かけ、証明書を提出して特別配給方を頼んだ。

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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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