【資本主義の未来】いわゆる”ビジネス”の領域が広がって、企業形態も変わるという話
突然ですが『ビジネス』と聞いてなにを思い浮かべるでしょう?
いろいろあると思いますが、基本的には「商品やサービスの提供」だと思います。
しかし、私は今後10年、、、いや50年先をみると、そこに「社会課題の解決」という領域も自然に含まれるのだろうと思っています。
社会課題の解決・・・というと、こういうイメージが強いと思います
「NPO=ボランティア=寄付」
本来は「NPO=ボランティア」・・・ではないのですが、そういうようなイメージがまだ強いので「NPOなのに利益を上げること」に違和感を唱える人もいるようです。
しかし、実は「社会課題を解決すること」は立派なビジネスになります。
パイオニアは『グラミン銀行』でしょうか。
貧困問題を解決する=ビジネスとして成立しています。
そのほかにも、日本だと『セキュリテ』があります。
クラウドファンディングというのがありますが、多くは「寄付」です。
しかし「セキュリテ」は違います。地方活性化とか復興について「投資」して、実際にリターン(配当)があるのです。
私も以前、東日本大震災で復興する地域企業に「投資」して、リターンをいただいておりました。
これ以外にもいろいろありますが、近年ですと「ESG投資」という概念も登場しました。まだまだ投資家的には「プロモーション的」意味合いが強い要素ですが、これも萌芽とみることができます。
さらには「CSV」という概念ですね。
社会貢献とかCSRとか、これまで企業にとって、それは「外部化」された概念だったと思います。
つまり「営業利益には直結しないけど、企業イメージにはいい」みたいな。
ひっくり返すと「やらなくてもいい」という扱いです(極論ですが)
CSVは違います。「社会的便益の追求=営業利益に直結」です。
こうした概念も萌芽とみることができます。
つまるところ未来に何が待ち受けているか?というと、いわゆる”ビジネス”の概念が広がるのだろうと思っています。
「商品、サービス、社会課題」
これが何をもたらすかというと、企業形態自体も変わるのだろうと思っています。
簡単にいえば「営利企業でも、非営利企業でもない企業の登場」です。
営利企業って、冷静に考えるとおかしな「呪縛」があります。
売上も、利益も永遠に伸び続けることを理想とする・・・という呪縛です。
冷静に考えればそんなこと不可能なのに、経営者は必死になって中期計画で「倍々ゲーム的な成長計画なるもの」をぶち上げるわけです。
でも、その「呪縛」のために、社員が長時間残業をし、家庭やプライベートを犠牲にしているとしたら「何のために企業があるのか?」「人間は企業のために生きているのか?」ということになります。
別にずーーっと伸びなくてもいい。
前年比は100%。でも利益はしっかり維持していて、今後も見通しが立っている。
そういう企業が「当たり前」になってもいいのではないか?と思っています。
ですので、今後の投資基準は「継続性」が重視されるのではないかと思っています。
10期連続最高利益を達成している企業ではなく、社員が生き生きと働き、社会的課題をどんどん解決する企業が、大企業として投資対象になる・・・
そんな社会になっていく気がします。
そう考えると、カール・マルクスが想定した資本主義社会というのは、「商品やサービスの希少性」を前提にしていたわけですが、その前提自体が大きく変化しようとしている気がします。
そう考えると、とてもワクワクします。
なぜなら、そうした未来においては、企業が営利活動をすればするほど、どんどん社会課題が解決されていく。貧困もそうだし、地方活性化もそうだし、障がい者雇用もそうだし、大きくいえば温暖化などの地球環境も。
・・・と、だいぶ脱線気味&高揚気味に書いてしまったので、少々突っ込みどころが満載の文章になってしまいましたが、資本主義とか市場経済とか営利企業とか、私たちが「当たり前」と思っていること自体を、客観視し、100年単位の長期的視点も見つめ直してみると、私たち人類は、もっと明るく活き活きとした未来を描けるんじゃないか・・・と思っています。
わぁ・・・それにしても、我ながら、すごい感情的な文章になってしまったなぁ。。
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