乱気流のものがたり
ここ数日、日本や米国の株式市場が過去最高の幅の値動きとやらでトップニュースとなっている。今年の初めから政府による新政策NISAが始まって個人投資家も増えたところを直撃したはじめての乱気流パニック。さがったり、あがったり。乱気流にのまれた小さな存在が姿勢を保つことは難しい。なにかおもりとなるものが必要だ。
ひとつ年下の妹は、生まれながらの器量よしであった。長いまつ毛に大きな瞳、華奢な骨格で色白、おとなしく家事全般が得意な彼女は良縁にめぐまれ穏やかで静かな専業主婦となってりっぱな家庭を築き上げるだろう、と周囲のだれもが思っていた。
妹にひとり目の息子が生まれたときは、親戚中が歓喜につつまれた。鼻筋の通った愛らしい赤ちゃんだった。その子が両腕を突き上げてよちよち歩きをはじめると、私の父母は初孫の後を目を細めながらただただのこのことついていった。その子が絵本の電車の名前を端から覚えて唱えはじめると、あの子は天才かもしれないよと私も真面目な顔で妹にささやいた。
彼女の家庭にはじめての乱気流が発生したのはそのころだったか。とつぜん彼女の夫が当時勤務していた大手の会社を辞めた。ひと月足らずのあいだに引っ越しを伴う転勤命令が2度も出たのだと言う。安定した高収入を社員に約束するその会社と彼の反りが合わないことはあきらかだった。
ああ、だからこの結婚には反対だったのよ、でもあの子がどうしてもと言うから、と母は声を落とした。妹と彼との結婚を両親ははじめ承諾しなかった。娘の将来を預けるには頼りなさそうだからというかなり曖昧な理由の割には、父も母もガッチリスクラムを組んでかたくなに反対した。妹もその勢いに押され彼と会わない期間が半年ほど続くと、彼女の食とウエストはますます細くなって、スカートのサイズはとうとう3号になった。そんなある日、彼女はもう一度チャンスがほしいという心のこもった長い手紙を彼から受け取った。そして妹は生まれてはじめて親に楯突いて彼に会いに行き、そしておよそ数カ月後ようやく両親から結婚の承認を勝ち取ったのだった。婚礼の日、妹は最上級の花嫁人形のように端正でしとやかだったが、その瞳は幸せと希望でキラキラと光っていた。
彼の失業と転職。初めて遭遇した乱気流に、妹があまりゆらがなかったのは、二つのおもりがぶら下がっていたからだったと思う。結婚を反対していた両親に対する意地というおもり。幼い息子というおもり。彼女は真の大人になり、真の母になっていた。そして、彼女は、二人目の息子というさらなるおもりを得たあととなれば、どんなに夫の転職が繰り返されても、電話でヒソヒソとそれを打ち明けてひとしきり泣いたあとは、ケロリとたくましく元の笑顔にもどって、自転車を走らせてはスーパーをはしごして買い物をし、三度三度の食事を手作りし、床や台所や風呂場を磨きあげた。そして、ついには週に数日からだを動かして働くことを選択したのだった。
ねえ送った写真は見てくれた?私がプレゼントした服を着てるのよ。かわいいよね?私の孫だから何を着てもかわいいに決まってる。お盆には会えるから楽しみだわ。昨日、電話の向こうで妹がいっしょうけんめい話している最中に別の電話が入ってきたのでいったん会話を中断したが、その先の妹の話を聞きたくて、またすぐに私から妹に電話をかけ直した。
ごめんね、証券会社からだった。ほら投資信託してるから、今回の株の乱高下の件で。慌てて手放さないほうが得策だって。
お姉ちゃん、もちろんそうだよ。株はね、始めたらどんな乱気流がやってこようと下手に動かさずにずーっと我慢して保持するほうが結局は得をするものよ。
ああ、そうか。そうなんだね。そういうことかもしれないね。若いころより濃くなった妹の声に、私はなんだか素直にうなずいた。
妹が30年前に買った人生の株の果実は、これからきっといよいよたわわに実りはじめる。