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9.11のものがたり

2001年9月11日の夜のテレビは、どのチャンネルを回しても、ニューヨークの世界貿易センタービルがジャンボ旅客機に突っ込まれ無惨に崩れ落ちるというハリウッド映画のような衝撃シーンばかりを繰り返し放映していた。そうこうしているうちに『世界の警察』の中枢、ペンタゴンも襲われた。無秩序が秩序をあっさりと呑み込むということがリアルタイムでまさに目の前で展開された衝撃的な夜。多くの民間人が巻き込まれて亡くなった。何が起きてもおかしくない世の中になってしまった。現に、その後、当時わたしが勤務していた高層ビルにも偽の爆破予告があった。そのビルには米国資本の大銀行のオフィスがあったがゆえに、わたしは、万事休すと覚悟して『もうダメかもしれない。息子を、あの子を、頼むね』と携帯電話を強く顔に押し付け、夫に訴えながら長い避難階段を駆け降りたりしたのである。

ほどなく二人目の子どもをみごもった。ドクターは出産予定日は9月9日と告げた。重陽の節句の日だ。次は女の子が欲しかったこともあり、菊という文字を名前に入れられないか、通勤電車に揺られながらわたしは真剣に検討したが、お腹の子はまたしても男子であることが判明し、菊正宗くらいしか思いつかない貧困な思考に陥ったため、重陽の節句由来の名付けは諦めた。

臨月に入ると、世間は前年911の大悪夢をリマインドすることに一生懸命となった。出産は予定日通りということはまずない。私は、その悪夢の日が出産に重ならないことを願った。心から喜びたいわが子の誕生日と心から悲しむべきこのニュースが毎年セットになるのが嫌だったからだ。

果たして、陣痛はその日の早朝に始まった。一人目の息子の出産が異国での無痛分娩であったのに対し、このお産は日本語は通じても麻酔の処置は受けられないことになっていた。耐えるしかない。この世に命を押し出すとてつもない痛みを長時間全身で味わなければならない苦労はあったが、午後2時すぎには無事に次男が産声をあげた。『あー、スッキリした』と気持ち良さを感じる、ふしぎと後味の良い出産だった。

実際に911ベビーを産んでみるとその子の顔を見つめているうちに、産む前に思い描いていた複雑な気持ちというのは、はじめからなかったかのように消え去った。たくましく強く輝きながらこの複雑な世界を大らかに生き抜いてほしいという願いをこめて、注意深く字を吟味して名前をつけた。母乳もミルクもグングンと力強く飲む赤ちゃんだった。

同時テロから23年が過ぎた。次男の誕生日に同時テロの話題がニュースで報じられることはほぼない。先日、歴史ドキュメンタリーのテーマとして同時テロが取り上げてられていることにふと気づいたくらいだ。今年は、米国時間9月10日の夜に注目の大統領選候補のテレビ討論会があった。その結果分析に、9月11日のニュース番組の時間が奪われている。22歳になった次男はその討論会をアメリカ現地で視聴したらしい。英語だけだから殆ど聞き取れなかったけど、トランプが移民政策の話でアメリカ人が犬猫を食い始めてるみたいな話をしてたのは分かったよ。交換留学中の次男が屈託なくLINEで連絡してきたのを見て、名前のとおり、こいつはこの世をたくましく渡り歩いていくんだろうな、とこれまでの22回分の9月11日に思いを馳せた。




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