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豪華産院のススメ

またまた古くてなんの参考にもならない話で
恐縮だが、
30年ほど前に私は第一子の長女を出産した。

子供を持つことに悩み、考え、学び、
それに2年の月日を費やした。

そして妊娠し、
選んだのは昔ながらの古くて小さな
産婦人科医院だった。

その頃でも
立会い出産もOKで、
お金さえ出せば個室できめ細やかなサポートが受けられて、
産後のご飯はカルテットの生演奏付きのフレンチフルコースで、
みたいな病院は確かにあった。

私の時の出産一時金は30万、
同年9月までの人は24万だったというから、
50万以上は自腹で出さないとそのサービスは受けられない。

その頃はお金がなかったというわけでもなかったけれど(毎回金がないと書いているが)、
子供のことを考えるとお金なんてなんぼあってもええですからね、
私は産前から『専業主婦ケチケチ生活』をし、産院を使うのも自分だから自分が切り詰めればいいんだと思い込んでいたので、
迷わず32万円ほどで一番安く済む大部屋を予約した。

妊娠出産は人間が出現した時からあることだしいくら病院設備が古いと言っても医師スタッフはその分ベテランだろうから最新設備がなくても現代社会においては何の問題もなかろうと、
その分貯蓄に回そうと、私は考えていた。

予定日の4日前、たまたま午前に健診があってその時には『お産が始まってます』と言われたので痛くなる前にと思い、家の掃除を始めた。

18時過ぎに産院に状況を伝え入院することになり夫と出かけたが、夫は病院の指示で生まれてからまた来ることになりすぐに帰った。

元々立会い不可の病院で、それは初めからわかっていた事だったが、
冷たく暗い部屋に1人でポンと置いて行かれた時には怖くて涙が一粒出そうになった。

それも一瞬で、
『泣いてたら子供は産めないんだ』と思ったら
涙はこぼれ落ちないで引っ込んだように思う。

当時の助産婦さんや看護婦さんは結構厳しい人も多く、体験談を聞いたり読んだりすると
ブザーで呼んでも『こんな事で呼ぶな』とか
『私たちも忙しいから』と怒られたり、
泣き事を言うと『お母さんになるんでしょ』
『しっかりしなさい』と太ももを叩かれたりだとかは割と普通に聞く話だった。
だから、入院時の検診で生まれるのは明日昼から夕方と言われたし、なるべく呼ぶまいと、自分で間隔を測ってメモしてひとりで必死に耐えた。

メモの字がミミズになって解読できないくらいになって、
さっきから3時間しか経ってないけど、
怒られちゃうかもしれないけど、
ちょっと診てもらいたいなと思い、
ブザーを押してみた。

そうしたら来てくれるわけではなく、スピーカーで『診るので分娩室に来てください』と言われた。

ベッドから降りるのもやっとの事。
ドアノブに手をかけるのもしんどい。
廊下に出て途中で冷たい床に倒れ込んでしまった。

意識はちゃんとあったけれど、どうにも動ける気がしなくて、この痛みの間隔が途切れる瞬間に立って分娩室に行こう、と思っていたが
なかなかそれが終わらない。

途方に暮れていたところに助産婦さんがやって来て、体を支えて連れて行ってくれた。
どうも進みが早くて、子供はもう出るところだったようだ。

それでも、時間は短くても、
そこから生まれ出るまでの間は
痛いよりも内臓が全部出てしまうんじゃないかと思うような初めての感覚に、
恐怖心の方がすごくて、横を歩いていた助産婦さんの袖を掴み『助けてください』と懇願した。

その時手術室と書かれた扉から医師が出て来たので『そうでしょう?切るでしょう?もう麻酔して切って出すんでしょう?早く早く何とかして』と思ってしまった。

医師は普段から無口だが、この時も一言だけ
『初めてだからねぇ(怖いよね、のニュアンスだと思う)』そう言って、やはりお腹は切ってくれることはなく、麻酔もなしで別のところを切って縫った。

切られた時は痛くなかったが縫う時はまた違った形の地獄がやって来たみたいに感じられて、思わず『野蛮だ』と小さく口から漏れた。

長女は3350gあり、医師たちは抱き上げながら『ちょうどいい、ちょうどいい』と喜んでくれた。
今にして思うと、命の危険もあるという臍帯真結節があったとこの時に判明したため、
いい感じの体重と合わせて喜んでくれたんだと思う。

この2人とのこの場面の思い出だけで
この産院に悪い感情は抱かないで済んでいるが、感情とは別に事実として、
その後の入院生活も最悪だ。

産んだ直後に歩いて病室に戻された事は『分娩室が寒いだろう』という配慮だと思うが、
そもそも私が内診を依頼するまで暖房をつけていないのでずっと冷えていて、
これでは私よりも高齢の医師と助産婦の方が心配になるほどだった。

たまたま翌日同室に来た妊婦さんは4人目の出産で全員ここで生んでいるらしく、産院の助産婦さんたちとも仲良しだ。
赤ちゃんの扱いにも慣れきっているので片手でも、よそ見しながらでも、何でもできる。

私の方はというと、初産で、かつ妊娠中は具合が悪く母親学級にも行っていないし、新生児なんて見たことも触ったこともない。

寒くて手が冷えてしまい、娘のおむつ交換時に手を擦りながらやっていると
『あなたがモタモタしてるからウンチが手につくのよ』と勘違いをされて叱られたり、
その他諸々若干冷たく扱われた感がある。
4人目母さんと比べてどうこう言うのは、
私が3人のベテラン母(?)になった今でもどうかと思う。
冷たい看護婦の指導はいらないから早く退院して自由にやりたいという気持ちでいっぱいの数日間だった。

無事に退院してからも
あちこち痛いし具合も悪いし、
夫に私を労る気持ちは全くないし、
新生児のことが不安で気が休まらないし、
図太い私だからこれで済んでるんだろうと思う。産後に鬱っぽくなる人が多いのも納得だ。

私の出産がこの時一回きりだったら、
産婦人科ってこういうものだと思っていたのだろうが、
その後別々の地域で合計5軒の個人病院に通院してみて、あたり前だけどいろいろ違うんだなと知った。

なんと言っても分娩台。
長女長男の時はとても古くてただの台で、とても産みにくかった。
次男の時になって、二代目若先生でリニューアルしたためか、ものすごく産みやすくて
『おぉーっ!こんなんあるんや!
この椅子みたいな斜めになってるやつ、
メチャクチャいいな』と、
終わった後は感動したほどだ。
最後の出産で残念だ。
(もちろん出産の最中は激烈辛かったのは間違いないのだが)

なんか、話はだいぶそれた感はあるが、

つまり、妊娠出産は
どんなに軽くても、
どんなに病院の人達に優しくされても、
どんなに周りに大事に扱われようとも、
どんなに贅を尽くして楽をしようとも、

そもそもの痛く苦しく辛い部分は確実に大きくそこに存在するので、
私は娘に
『最新の設備で最新の考え方のお医者さんにかかった方がいいよ』と
勧めている。

これからの妊産婦さんには出来得る限りの苦痛は排除して、
心身ともに健やかに暮らしてほしいと願う。

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