
鈍感力、かっこよく言えばスルースキル?
ウエディングドレス姿の幼い娘と写真に収まる父親が非難されるニュース記事をちょっと思い出した。確かに『パパのお嫁さんに』っていうのは昔は微笑ましかったが、今ではなんだか気持ち悪さが漂ってしまうのかもしれない。
昔から子供の痛ましい事件はあったが、近頃は加害者が身内という性的事件も多いのでそれらのニュース等も踏まえいろんな情報を付け加えて想像し、我々外側の人間はアレルギー反応を起こして批判したくなってしまうのだろうか。他人の頭の中はわからなくて怖いからなのだと思う。
例えばその娘を溺愛する父親で言えば、邪な感情など微塵もなく頭の片隅にさえ無いものだから、娘への愛を全面に押し出して行動したり発言したりするだけなのだろう。
かく言う私も、
基本的には誰に対しても敵意や傷つける意図はないし、
意地悪や嫌味を言ってやろうなんて考えたこともないけれど、
知らないが故に自分が勘違いをしていたり、
相手を勘違いさせて傷つけたり嫌な思いをさせたりする事も
きっと多いのではないかと思っている。
昔のことなのに今の常識に合わなくて、反省しても解決しない事で延々と落ち込んだりすることも多い。
相手が嫌だと思ったらそれはダメな事、
『悪気はない』が一番相手を傷つける、
とか考えるともう何も言わないで
誰にも会わないで
1人でいたいと思ってしまう。
人様に嫌な思いはして欲しくはない。
自分の言葉に自信はない。
こうなるともうみんな何を話題にして生きているんだろう、と思う。
結構キツい人も意地悪な人もいっぱいいるし、私も傷つくことを言われる事も多いけど?、
世の中的にそれはいいのか?
とモヤったりもする。
思い出すのはむかし結婚したばかりの頃。
近所のクリーニング屋のおばさんに『アンタ子供は早く作った方がいいよ』と何度も言われたが、勿論おばさんに悪意なんかない。
これは結構傷ついたりカチンと来る人は多いんじゃないかと思うが、
私は当時子供は要らないと心底思っていて、大袈裟に言えば信念に近いような揺るぎないものがあったので、全くムカつくこともなかった。
しかしその2年後に妊娠中に歩けないほど体調が悪くて、かつ初めてのお産に恐怖心を抱いていた時には『アンタ座ってばかりいると難産になるよ、歩きなよ』と言われて怖くてしばらく泣き暮らした。
長女が1歳になったばかりの歩き始めた頃に
2人目ができると『こんなに小さいのにお姉ちゃんになるのかい、可哀想に』と言われ、私は娘に可愛そうなことをしているのかとまた落ち込み、家で泣いた。
ママ友の『子供3人も産んでさ育てられないんじゃ意味ないしね、自分は1人でいいわ』という言葉にも、私が勝手に意味をつけて自分に当てはめて受け取ってしまって、勝手に傷ついたりもした。
しかし母乳に関しては、全然出なかったのにどうしたわけか『今のミルク、優秀なんじゃない?全然大丈夫でしょ』と、
外側では結構母乳問題がうるさかったけれど
私は全く気にならなかった。夫の家事育児に対する適度な無関心ぶりも案外ちょうどよくて、気が楽だったのかもしれない。
長男の時には一滴も出なくて完全にミルクだけだったが、3人の子供の中で一番丈夫だ。
あとの2人もほんのちょっとしか母乳は出ていないので、99%ミルクで育っている。
長女なんかは、私が産後ずっと具合が悪かったので、ほぼ瓶詰ベビーフード育ちと言っても過言ではない。しかし愛情がないとは言わせないし(笑)、愛情はたんまりあるので言われても気にならない。
『子供に兄弟がいないのは可哀想だよ』と言った同じ口でその数年後『子供3人も産んでどうすんの』と言った人もいて、つくづく人は自由で勝手な事を悪気もなく言う生き物なんだ、とその時に学んで、もはやむしろ笑えた。
人の気持ちは変わるものだ。その時の一言にいちいち傷ついてはいられない。
子供に関する事は心身ともにデリケートな事も多いし、愛情故に悩む事も傷つく事も多いと思う。しかしそのほかの話題についても含め、気にする気にしないは自分の気持ち次第な事も多くある。こちらの事情や心情まで相手に察してもらって発言してもらうのは、まず不可能だ。
私は悩みながらも比較的お気楽にやって来れた方だと思うので、これらの話は不妊の人とか産後うつ等で本当に辛い思いをしている人には当てはまらないと思う。
それは大前提な上で、人の言うことにいちいち目くじらを立てることなく、全部排除することもなく、自分に必要な情報を自分に合わせて取捨選択していけたらいいな、と思っている。
ちゃんと話を聞くと、誤解していて
『なぁんだ、そういう事だったかぁ』なことも
結構あると思う。
そんなこと言ってもなぁ、
私が書いてるnoteで嫌な気持ちになる人がいたらそれはやっぱり嫌だな、
どうしよっかなと毎日思いながら、
今日もこうして『えいやっ』と投稿してみる。