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【育児の思い出】子供とのこの世の終わり的入浴

きっと子供の入浴には様々なご苦労があろうかと思われるが、いろいろ工夫して頑張っている事とお察し申し上げる。

これから書くのは、世紀末に近づく頃の
我が家の一風景だ。

我が家の次男(3番目で末っ子)は産院の同室にいる間一度も声をあげて泣く事がなく、心配で
医師に『この子全然泣きません』と幾度となく訴えてはその度に
『えー、新生児室ではすんごい泣いてるよぉ』『いいじゃん、家に帰ったら戦争になるんだから今のうちに寝てたら』と笑われたが、
何のことはない、
私が勝手に泣き始める雰囲気を察知して素早く抱っこしてしまうだけのことだった。

3人目だからなのか、新生児育児にすっかり慣れた上に体調も良好で初産の時のあの地獄のような体の辛い日々は何だったのかと思うほどだ。

そんなおとなしい次男が本領を発揮するようになったのはハイハイを始めた頃かな、と思う。
多分当時育児があまりにも日常的に楽で、
子供が病院にかかることもなく特筆することが全くないので、その頃までの記憶がないのだ。

次男は末っ子で常に周りに人がいるせいか
ひとりでいることにはとにかく耐えられないようだ。大きくなってからも、インフルの時に
ひとりで隔離される寂しさに耐えられず、姉兄と同じ部屋で寝て秒でうつるなどということもある(以前に新型インフルの不思議で書いた)

子供達がそれぞれ0歳、2歳、4歳の頃、
自称『95%ワンオペ』の私は風呂にも当然ひとりで入れていた。
もう慣れきっていたので、
そのこと自体は大変な事は特にないが、
なにより地獄だったのは、次男が脱衣所にひとりで置かれている間中ずっと火のついたように激しく泣いている事だ。

次男も立って歩く頃には3人で浴槽に入ってご機嫌な写真も残っているくらい楽しめるようになったが、狭くてハイハイの状態では同時に3人は入れられない。

万が一にも浴槽で上の子に何かあっても咄嗟には助けられないから、上の子2人を同時に洗って拭いてリビングでビデオを観ていてもらうまで、末っ子は風呂には入れられないのだ。

かと言って不安で彷徨いながらハイハイし続ける次男をリビングには危なくて置いてはおけない。

結果、洗剤が入った棚の扉に鍵をかけ危険がないことを指差呼称で確認の上、狭い脱衣所に座らせておくのが最善の策だったのだが、
扉越しには親姉兄がいるのに自分は1人にさせられている訳なので、毎日毎日喉が裂けるかと思うほど泣き叫ぶこととなったのだ。
可哀想だが安全には代えられない。

考えてみれば長男が0歳の時も同じやり方で入れていたはずだが、そんなに泣かれた記憶はないのでやはり次男はすごかったと思う。

この次男は普段から泣く時は『世界はもう終わるのか』くらいの勢いで、何をそんなにと驚くほど激しく泣く。毎回どこか痛いのかと探してしまうくらいに激しい。

次男が脱衣所にひとりで置かれる哀しさに慣れる事はなく、
洗い場で浴槽の縁に手をかけてしっかりと立っていられるようになって姉兄と一緒に入浴できる時まで、
私は毎日毎日大声で『ごめんねーママいるよー待っててねー』を繰り返し、
大根を洗うかのように爆速で上の子2人を洗いあげ、
鼻をすんすん言わせながらも機嫌がよくなった次男をこれまた爆速でジャガイモを洗うかのように洗いあげて、
自分はシャワー付き洗面台で頭だけ洗う、
頭を洗う間も顔はリビングに向けて子供達を見ている状態、
みたいな生活が数ヶ月続いた。

今でもあの可哀想な、
喉から血が出てるんじゃないかと思うような、この世の終わり的に泣き叫ぶ声が耳にこびりついて離れない。
何かのトラウマにでもなっているのではないかと心配したほどだが、
今のところそれに関してはないようだ。

その後は温泉好きの幼児に成長し、
今では疲れていても毎晩欠かさず入浴して就寝する一人暮らしの社会人になっている。

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