真理・受応・善

真理の認識の根源は心身への、心身が感じ取る響き。真理と感じるものの実感、常にそれと共にある意識とその客観視。感じ取らないことができないそれを信じること。理性的な理解を超えた実感、すなわち感覚と認識の直接的な結びつきによる直感的把握。

そうさせているのも真理であり、すべて共に在り、隔絶されていない。無関係なものなどなく、すべては関連する。すべては一つの真理に根差すという実感。

任された自己とその外との相互作用から、自然の理を認識し身にした上での現象の受応から、自然とそう感じるところの信念。それは、自由な営みのために必要な根源を感受すること。

自分の外が意識でき、外と内は直に与えられた個に任された、真理に基づく意のままに扱い営める範囲、その内か外か。内のものも比較的意識が感じ取りやすいことのみで、実際にその通りに捉えることは出来ない。

すべてはそのものと捉えることは出来ず不可知であり、存在することを否定できないというものの捉え方にすぎない。それをどこまで真理に近づけられるかという、その意志と営みが善への道であり、その客観視は超越的な視点となり、全体を調和へと導く。

感覚と意識の結びつき、接触を通じての感受、自発的信念。正しく捉えられるものがない中、最も信頼に値するそれに従うことが善、つまりもっとも難のない、妨げの無い、無理なく流れゆく営み。

その根源である真理、それに望まれそれを望む、常なる離れることのない意識の醸成、それが自然の営みや育成に向けられた意識による営為、即ち理性がそれに即し営むために生み出された概念たる善である。



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