畏敬と内面的創造性
検証不能であることから、心理的に真実と認識せざるを得ないものは、信念や直感からの創造的な解釈により生まれる。確立された客観的基準の枠を超えて、新たな理解を創り出す自由。この自由こそが創造性を刺激し、個々の世界観を形作る。
不確定性と不可知の中での認知と事実。あらゆるものは明確に解明され、理論的に理解されたとされている。しかし、真の真実として受け入れるものの多くは、理解を超えた体験に基づく。
超自然的な出来事や自然に対する畏敬、そして知覚の限界を超えた体験は、時に「不可知」の領域に足を踏み入れる。
そこに意味を見出すことは論理や理性では捉えきれないが、それこそが内面的な真実となり、個人の行動や選択に深い影響を与える。
根源的な創造性、感受性の源泉は、多く驚きや畏怖から生まれる。超自然的な出来事、自然への畏敬、人間の知覚の限界を超えた体験は、しばしば理解できない現象として現れ、解明も否定もできない。そうであるからこそ、それを真実と感じ取る。
その体験は直接的に現実の一部であり、個々の内面的な真実。経験は単に理性や論理で説明できるものではなく、その捉え方こそ、感得したものこそが強く印象に残り、価値観に結び付く。
体験がもたらす洞察や感覚は、超越的なものや神的なものにも連関しえる。知覚や体験としての現実、伝わってきたものの観取、それに基づいた理解。そのものの一面としての位置づけ。
奇跡、神秘体験も自然。理に基づくならその理解を試み、そうでないなら感じたままに信じる。超常現象、超自然的現象は自然現象。働きに意志はなく、止まることもない。
捉えたものが、その者にとっては真。主観的な認識こそが、その人にとっての真実。
真は信仰としての確信ともなり、個人の内的世界に影響を与え、醸成された信念や直感が、その人の行動や選択を決定づける。
真実はその人の経験、解釈が物語となり、個人の人生に意味を与え、他者との共鳴を生み出す種ともなる。真はその創造性の核である。
客観的な真理や基準は環境や状況に依存し、科学的な法則や社会的な規範も特定の文脈や条件に基づいて成立、時間、場所、文化、価値観など様々に影響を受け、普遍的で絶対的なものとすることはできない。
記号化、抽象化、客観化される中での、感性や主観的な体験の欠落。作品として商品として完成した完結した、テキストや表現に閉じた世界。
特定の枠組みや環境における限定された、相対的な、様々な正しさや基準。
複雑で多く不確実、不可知の面もある環境、現実も、それに対す自分なりの解釈の試みは、自由に想像することもでき、問いも与えてくれる。この過程そのものが、創造的な発想や新しい視点を生み出す源泉となる。
個人の内奥で、どのように想い、信じ、考え、感性を磨いていくか。それは、何者にも縛られない本質的な自由である。